フォローし合うも他生の縁(2024年11月21日)
友人に勧められて始めたnote。
始めて直ぐにわたしはナマハゲのごとく
「大河好きはいねぇがぁ? 朝ドラ好きはいねぇがぁ? アラ還はいねぇがぁ?」と、自分と趣味が合う人、同世代を探してnote内をさまよった。
色んな人がいる。
色んな投稿がある。
断っておくが、わたしは性格も口も悪い。
その悪い口の先の舌は二つに割れていて、
だからどうシタ、それがどうシタと、
どうシタ姉妹が、あちこちの投稿を舐めまくるのである。
「◯◯に行って来ました」
それがどうシタ。
「◯◯ってこうだと思う」
だからどうシタ。
所詮他人。興味も関心もない。
そんなふうにnoteの海を漂流すること三ヶ月。
おやおや。
会社のグチとか、身辺雑記とか、noteにごまんと投稿された内容は大差なくても、書き方とか、文章の流れとか、何か引っ掛かったり魅かれたりして、フォローしたり、されたり。
きっと何かのご縁なんでしょう。
「〇〇行って来ましたー」
知ってるよ〜、道中の投稿みてたもん、楽しそうだったねー、写真きれい〜。スキポチ
「〇〇って、こうだよね」
そうそう、そうなんだよねー、分かる、分かる。スキポチ。
相互フォロワーさんの投稿した旅行や車中泊の写真や会社の愚痴などを楽しく読んでいる。
どうシタ姉妹は口の中でトグロを巻いて寝ている。
投稿がしばらくないと、体調悪いのかな?と心配になる。
ノーターさんのコメント欄を開いて自分の相互フォロワーさんを見つけるのは、スーパーに買い物に行って、友人に偶然出会う感じに似ている。
noteの海の中で出会う確率は途方もない。
それでも、フォローするもされるも、外すも外されるも自由。その自由さがいい。