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シンガポールで考えた、日本人が英語ができないのはできなくてもいいから

シンガポールは英語が日常的に話されている国です。国民の9割以上が英語話者だと言われています。
実際に行ってみると分かりますが、英語だけですべてが完結します。
飛行機を降りてからすぐ、すべての案内や広告が英語なのが分かります。タクシーのドライバーさんとも英語でふつうに雑談できます。
日常生活で接する言語は英語です。スーパーの買い物から近所の人とのおしゃべりなど、すべて英語で済んでしまいます。職場も英語です。
チャイナタウンなど例外はありますが、英語以外の言語を日常生活で見聞きする機会もありません。
そういう状況なので、英語が使えないと生活できません。

しかし、英語は国民の大多数にとって母国語ではありません。
それでもシンガポールが英語に固執するのには理由があります。
独立する前後の時期に、シンガポールは内乱を経験しました。シンガポールには、中華系/マレー系/タミル系という、大きく分けて3つの民族グループが存在します。独立前後の時期、どのグループが主導権を取るかで大きな内乱になりました。
そのような不幸を二度と引き起こさないため、国民統合のアイデンティティ-の一つとして、国策として英語の学習を義務付けました。英語はシンガポールの"administrative language"と位置付けられています。
(ちなみに、国歌がマレー語なことで分かるように、シンガポールの国語はマレー語と定義されています。ただマレー語を街中などで見かける機会はほとんどありません。)

現在のシンガポールの繁栄は、英語が広く使われていることと不可分です。
英語のおかげで、ダイレクトに世界の市場や情報にアクセスできることが有利に働いています。
欧米の多国籍企業も、コミュニケーションギャップを心配することなく、アジア地域の拠点を置くことができます。


日本の状況は、そんなシンガポールの状況は異なります。
母国語である日本語で生活のほぼすべてが完了します。家の中も外も同じ言語です。職場でも教育現場でも母国語で完結します。
明らかに快適です。自分の考えをあらゆる場面で的確に表現できます。相手の考えも素早く理解することができます。
そういう、英語が浸透していない状況にもかかわらず、世界有数の経済規模を維持しています。ノーベル賞受賞者も輩出しています。

これには、母国語で高いレベルの教育を受けられるということが寄与していると私は思っています。
物理現象から経済問題まで、そもそものところをたどっていくと、必ず生活に結びつきます。母国語と教育が結びついていると、そもそものところをより深く理解することができます。
同じ内容を外国語で学習するよりも有利です。
(高等教育や研究活動が母国語で行える国は、実は多くありません。)

シンガポールでは、教育も初等教育からほとんど英語ですし、高等教育は英語でしか提供されません。
ただこれは、高等教育を受けるには英語を使いこなさなくてはならないことを意味します。頭脳のリソースを英語に割かれてしまいます。
物事の理解の深さにも差が出てしまいます。英語で学んでいますから、学んだ内容と実際の生活を結びつけるのに手間が増えてしまいます。


日本人が英語を使いこなすことができないのは、その必要がないからです。シンガポール人が英語を使いこなせるのは、そうでないと生活できないからです。
そして、無理に英語を使おうとすると、物事への深い理解が難しくなるようです。必要がないのならば、あえて無理に英語を使いこなせるようにならなくてもよいのではないでしょうか。



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