耽溺ライフ
深い感覚と心の揺らぎを見つめると、快楽、不安、幸せと不幸といった感情が絶妙なバランスで共存していることに気づきます。
快楽の深淵に身を沈め、壊れていく自分を感じる甘美な行為。制御不能な高まりや崩壊の感覚。
意識は別の場所へと連れ去られ、自分自身は快感に溺れて壊れていく。そして、そんな自分を受け止め、抱きしめてくれる存在へ甘えたい心が生まれる一方で、それを拒む心の自己矛盾も生まれます。
他者に救済を求めているようで、実は完全に救われることにはどこか抵抗があるのです。壊れていく自分を見届ける誰かを求めているのかもしれないし、その誰かが手を伸ばしてくれたときに手を取るのか、それともさらなる深みに沈むのかもわからない。
答えを探すことが目的ではなく、むしろその揺らぎの中にいること自体が自分にとっての真実なのかもしれません。
小さな不幸がじわじわと心に染み渡るとき、眠っていた感覚が研ぎ澄まされるように感じます。それは甘く柔らかい幸福とは対照的に、痛みの中でこそ感じられる鋭さや鮮やかさをもたらします。
それらが生きる実感をもたらし快感すら伴うことがある一方で、その快感は同時に消耗を引き起こし、心に耐えきれない瞬間をもたらします。
しかし、それこそが本質的な幸せを強く望んでいる自分の証拠でもあると感じます。心の中でしっかりと「幸せの場所」を覚えているから。
幸せは心地よく、病みつきになるようなもの。「もっと」を求めすぎることで、今ある幸せを見失うこともあります。
幸せや不幸の揺らぎの中で、バランスを取ることは難しいことです。しかし、少しずつ今ある小さな幸せを見つめ直し噛みしめることができたら、それだけで心が満たされる瞬間が訪れるかもしれません。
病みつきになる感覚も、幸せに敏感だからこそ生まれるものではないでしょうか。きっとその心は豊かなはず。