「いやー、ハンパないっすね」
2020年オリンピックの開催地が東京に決まった時、僕は多分逆張り生活の真っ只中で「いや、東京でやってどうすんの笑笑」ぐらいの事を言っていたと思う。
実際、批判も沢山あるし、問題がないとは言わない。ただ、純粋にスポーツを観るという点で僕はこの五輪を楽しんでいたりする。
この数年でちょくちょく気にし始めたロードレースが日本の地で行われる映像には興奮したし、新競技のスケートボードや3X3の会場はなんだか時代が変わっていく様を目の当たりにしている気分になった。
残念ながら殆どの会場が無観客となってしまったが、テレビで観るだけでも見慣れた日本の景色が映り込んでいて楽しい。
ルールを知らない競技も沢山あるし、選手の名前もあやふやではあるが、それぞれの競技を極めた選手たちが金メダルを手に入れようと果敢に闘う様は否応なしに「かっこいい」。
開会式から1週間と少し、印象的だったのはスケートボードの解説だ。「今のはアツいっすね」「ハンパないっす」などの言葉は、ある意味で耳馴染みが良く、面白かった。何より選手達はもちろん解説の方も楽しんで観ている様に聞こえたのだ。
たしかに五輪は勝負の世界、勝ち負けがついてしまう。しかしそれ以前に競技を楽しむという雰囲気が「クール」だと感じた。なにより、スケボーをやったことのない僕には「何がどれくらいすごいのか」が分からないため、「ハンパないっすね」くらいの方がむしろピンとくるのだった。
そういう意味で言うと、自分はスポーツをやってきていないので殆どの種目の「何がすごいのか」をあまり分かってはいない。
ルールやその競技の特性を知識として知っていたとて、実際にプレーしたことがあるかないかでは雲泥の差だ。
野球中継を観ていて解説の人が「この場面でこのボールを投げ切るのはお見事です」と言ったとしても、理屈では分かるがそれがどれだけ難しいことなのかは体感することはできない。
同じような事は絵画を観たときにも言える。今まで絵を描いた事は殆どないため、スラスラと描かれる美しい絵の裏にどれだけの努力が隠されているのかは知る事ができない。
他にも、動画編集だったりゲームだったり、「本当のすごさ」を知り得ないことが沢山ある。
反面、それを知ることがいいとも限らないのかもしれない。
僕はギターを弾くけれど、少しづつ弾けるものが増えれば増えるほど、本当に上手い人のすごさが分かってしまう。
ただなんとなく「すごい」ではなく、「なぜそんな事ができるのか」という疑問すら生まれるほどの「すごさ」を痛感させられるのだ。
それをとあるギタリストがYouTubeに投稿していた動画についていたコメントが上手く表していたので紹介したい。
『初心者に希望を、経験者に絶望を与える動画』
その技術がどれだけ難しいかはやってみないと分からない。だから、僕は五輪を観て楽しんでいるけれど、もしかしたら本当のすごさは分かっていないのかもしれない。
しかし、それでもいいだろう。
僕は僕が弾くギターを誰かに事細かに解説されたいとも思ってないし、長々と書いた文のどこがどうすごいと言われても気恥ずかしい。
知らない事は知らないまま、楽しめばいい。
ただ、「ハンパないっすね」と呟いてくれればそれで。