金木犀

子供の頃からずっと「夏が好き」と言ってきた。しかし、大人になってどうやら秋も悪くないと思い始めた。

中学生の頃を思い出す。あれは間違いなく秋だった。金木犀の香りがしていて、日に日に早くなる日没が恨めしかった。
寮には門限の六時に帰らなくてはいけなかった。夏の間はまだ明るいうちに閉じこもってしまう気がして少し寂しかった。
十月の頭にはもう五時半くらいになれば辺りは暗くなっていて、正門に灯された灯りだけがそこを明るく照らしていた。
風は段々と冷たくなって、しかし日中はまだ暖かくて、切なく、これからやってくる厳しい冬への準備を急かしているようだった。
秋の匂いがしていた。その匂いを嗅ぐと、今でも毎年同じ時期に開催されていた行事を、嫌でも思い出してしまう。
その行事は「体育の日」の直前の土曜日と決まっていた。元々10月10日であった「体育の日」は晴れやすい「特異日」とも言われるが、実のところその優位を示すデータは見つかっていないらしい。
それが月曜に移動してからは、雨が降る日もあったと言われるが、本当はどうなのだろうか。それに、今は「スポーツの日」となってしまったその日も今年に至っては移動してしまった。
学校を卒業する年、その行事は雨で流れてしまった。体育が好きでなかった自分でも、少し寂しく感じた。
もう何年も同じ事を繰り返してしまったせいで、秋といえばその行事になってしまったのだった。
中学生の頃に時を戻そう。当時の自分の辞書には風情という言葉もなく、金木犀の香りを認識する頭もなかった。しかし、匂いは自分が思っているよりも記憶と強く結びついていて、今も金木犀の芳香が鼻腔をつく度にその頃の事を思い出す。
自転車で走った道、涼しく心地の良い風、夕暮れの風景。友人と遊んだ体育館や、校内の荒れた路面。雪崩のように押し寄せてくる記憶たちが、胸を強く締め付ける。
もう手元にない手紙や、先輩のギター。屋上から見上げる夜空と他愛のない話。携帯電話を持っていない代わりに、他に何か、形には表せない何かを持っていたような気もする。
酒も煙草もない。インターネットもない。しかし日々の会話や、机に置かれた本、下手くそな絵、手書きの小説。もう跡形もないようなものが、なぜか秋という季節と被る。
結局、言わなかった。分からなくなってしまった。あの気持ちの正体がなんだったのかは、分からないままであった。無機質な様でいて、あり得ないほど有機的だった。
当時嫌と言うほど聞いていた曲は、今も配信されていない。中古で買ったCDを、明日、引っ張り出そうと思った。

THE HIGH-LOWS 『千年メダル』

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