多分あれだけで生きてる
大学二年の頃だったと思う。今でこそ色んなオリジナル曲を作ったり、色んなところでギターを弾いたりしているが、当時はコピバンしかしていなかった。
そのクセ謎にプライドだけは高くて、変にカッコつけていた。今思えば愚かしいことこの上ないが、それはそれでまあまあ楽しくはあった。
最初にギターボーカルとして人前に出たのは高校一年の冬だったと思う。緊張のせいが強く弾きすぎて人差し指から出血した。
そもそも、本当はピンボーカルがやりたかったというか、単刀直入に言えば甲本ヒロトになりたかった。それだけだったから、ギターはあくまでもサブみたいな気持ちだった。
過去のライブ映像をYouTubeで見漁ったり、DVDを買ってみたりしているうちにどうやら甲本ヒロトもライブでギターを弾いたりしているということがわかって、とりあえずギターを手に取ったのだ。
その内に段々と聞く音楽も変わっていって、どうやらギターボーカルというのも悪くないぞと思うようになった。この頃の僕は「の子(神聖かまってちゃん)になりたい!」→「尾崎世界観になりたい!」→「細美武士になりたい!」と、ギターボーカルに憧れていた。
最後の細美武士になりたい時期は結構長くて、10代の後半から20代前半は基本的にそうだった。というか突き詰めれば今でもそうだ。今でも俺は甲本ヒロトになりたいし、細美武士になりたい。
ただ、少し歳をとって、色んな音楽を聴くようになって、色んな芸術を、色んなことを知って、少しずつではあるがその思いは薄れていった。
いや、薄れるというと語弊があるかもしれない。なんとなく世界が広くなって、「別に、俺は俺でいいのかもしれん。」みたいな感情が芽生え始めただけのような気もする。
少なくとも、今言語化するのであればそうとしか言えない。
そんなわけでうだつの上がらない日々を送っていた訳だが(別に今もうだつは上がってない)、コピバンはそれなりに楽しかった。
オリジナルバンドに加入もしたけど、一年と持たずにぬるっと抜けた。ギタリストとしての採用だったのももちろんあるけど、色々と難しくて、「諦める」というほど大仰でもなく、淡々とやめた。
そもそも、自分はいまだに自分のことをギタリストだと思っていない。世の中には俺よりギターが上手い人がたくさんいる。本当にたくさんいる。
かといってやっぱりギターで勝負しようという気にもなれない。俺は俺のギターじゃなくて俺の曲をみんなに聴いて欲しいだけなんだと思ったりする。
そんなこんなで迎えたあのライブ。もう夏だったか冬だったか、はたまた春だったかも覚えてない。多分春だった気がする。
その頃、大学では年に3回長期休みの前にライブが開催されるのが慣習になっていた。もちろん、本番の1週間ぐらい前に慌ててスタジオに入るのも慣習だった。「俺この後も別のバンドのスタジオですよ」って言うのがカッコよかったし、「また直前になって練習?」とスタジオの人に怒られるのも恒例行事だった。
ライブの主催は二年生の担当で、その学年のバンドマンが受け持つのだが実際は僕ともう1人だけで大体のことをやっていて、まあでもそれも楽しかったから良かったんだけど。
運の悪いことに今まで使っていたライブハウスが閉まることになって、新しい場所を探したり、フライヤーを作ったり、会計管理をしたり。楽しかったんだけど、決して楽ではなかった。おかげで今色んなことができてると思うとありがたいとは思うけど、まあそれなりに大変ではあった。
だから、無事に当日開催できた時は結構嬉しかった。それなりに色んな人が来てくれて、その人たちが笑顔になっているのを見て、なんとなく報われた気がしてた。
主催しているのだからもちろん自分の出番もある訳で、確か5曲くらいやったのかな?もうあまり覚えていない。
多分ライブはまあまあ、悪くなかったね、って感じで、それなりに盛り上がったし、楽しかった。
自分の出番が終わった。僕は疲労感に包まれていた。純粋な疲れもあるし、加えてなんとかイベントを開催できたことに対する安堵からもある。
一応フロアには出ていこうかな、と思いバックヤードから廊下に出ると丁度人がいた。
もう名前も覚えていない。顔も思い出せないし、何年生だったのかも定かでない。今はっきり言えるのは、その人が女性だったこと、少なくとも先輩だったこと、その2点しかない。
あまり喋ったこともないその先輩はどうやらもう帰るところらしかった。「お疲れ様です」と、とりあえず大学生にとって万能な挨拶をした。
「お疲れ。良かったよ」
「ありがとうございます」
それだけ言ってフロアへ行こうとした僕に彼女は言う。
「歌、上手いね。楽しかった」
多分、今もあれだけで生きてる。
あの言葉がその時の僕にとっては救いだったし、ライブ当日までに至る諸々の作業や葛藤が全て報われた気がした。いや、もしかしたら生まれてからその日までの一つ一つの事柄すらも報われたように思った。
きっとあの日から、誰かになりたいと思わなくなりはじめたんじゃないか。誰かになりたいという思いに対して少しずつ疑問を持ち始めていた僕に、その言葉はまるで「そのままでいいんじゃない?十分だよ」と言ってくれたのかもしれない。
そういえば、それまでギターを褒められたことはあっても歌を褒められたことはあまりなかった。正直、僕の歌なんてピッチも安定しないし、肺活量も全然ないし、綺麗な声も出せない。
だから尚更嬉しかったのかもしれない。
無論あの場面で「歌、下手じゃね?」と言う人はいない。というか基本、「褒める」以外の選択肢はないだろう。
だから、彼女も社交辞令だったのかもしれない。そもそもちゃんと聴いていたかどうかすらもわからない。
でもなんだか力づけられたんだよな。
僕は僕の言葉に責任は持てない。自分の言葉がどこかで誰かを勇気づけているかもしれないが、反対に傷つけてしまっているかもしれないから。
でも、今思い出しても多分あの一言だけで今日も生きてる、そう感じてる僕がいるんだから、もう少し言葉を大切にしたい。
そう思う台風の夜でした。
P.S. 書きすぎだし、マジで誰だったのか覚えてないし、記憶の中で美化フィルターを通されてる気がしてるけど、ふと思い出して書いてしまった。今日も頑張るかぁ〜。