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不思議なタイミング

「自分にしか分からないこと」が起こる確率は、おそらくそんなに低くはない。
昨日観た映画に出てきた本にふと出会ったり、覚えたばかりの言葉を使う人に出会ったり。不思議と、なぜかここぞというタイミングで現れたりする。

タチが悪いのは「自分だけが死ぬほど面白い」という状況だ。その場所で自分しか知らないかなり内輪なネタを目の当たりにしたとき、人は無力だ。
その面白さを共有したくても、説明することなど無論野暮だし、理解してくれるとも思えない。かといって心の底から笑って、思う存分気が済むまでその面白さを味わうわけにもいかない。
残された選択肢は「耐える」以外にない。

そんな地獄みたいなスラムドッグミリオネアを耐え抜いたところで、何かが生まれるわけでもなしに、ただ無為に体力を消耗するだけだ。
自分だけが面白いその状況を、ただ耐えるしかできない自分の無力さと、なんでもないことが笑けてくる不思議さをただ黙って受け入れることしかできない。

そう思えば、自分が勝手に「不思議なタイミングだな」と思っていたことなど、今まで幾度となく起こっていて、たまたま自分が直前に触れていたから目についただけなのだろうともとれる。
大したことのない出来事が、いつの間にか意味があるような顔で現れる。映画じゃないこの日々には、意味のあることばかりではないのに。

それでも、認めきれない自分もいる。じゃあ、何年も待っていたドラマの、今シーズンで1番大事な曲が、明日目の前で演奏されることになっているのは本当にただの偶然なのか?と訝しむ。
勿論、偶然ではある。本当にただの偶然である。
それでもやはりどこか意味を感じずにはいられない自分もいる。

きっと、これからもあるだろう。不思議なタイミング、が。
斜に構えるのはやめにしたい。意味があろうとなかろうと、不思議なタイミングはそこにある。少しづつ早くなる流れの中で、下流に向かう水流は時に大きな岩に当たって砕ける。それでも、きっと向かう先は一緒だ。
時に海を、そして不思議なタイミングを。まるで伏線が回収されるようにハッとされる出来事を、これからも心待ちにしている。

追伸:まさにこの文章を書いたその夜に見た動画で、このような現象が説明されていた。有名なのは『カラーバス効果』だがどうやらその名称の出所はあまりはっきりしていないらしい。正しくは、というか心理学用語で言えば『頻度錯誤』と言うそうだ。
いや、それでもやっぱりこのタイミングはおかしいよ、と思いながら寝た。

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