嘘吐きは泥棒の始まり
とは、よく言うが、どういうことだろう。
そもそも嘘をつく人がすべて泥棒になるわけではないし、泥棒が全員嘘をついているというわけでもない。
これが正しいなら「泥棒の始まりでないので嘘吐きではない」ということも言える。言える?ちょっと日本語がよく分かりませんね。
そもそも、「泥棒のはじまり」とはなんだ。泥棒にはじまりも終わりもない。物を盗った時点で、もう泥棒である。
由来があまりにも気になったので調べてみたら、「諸説あり」がたくさん出てきて嫌になった。その中でギリ納得いったものを紹介。
時は江戸時代。徳川家の支配によって統一された日本は、戦乱の世を終え、束の間の平和に勤しんでいた。
しかしいくら平和な世の中とはいえ、物盗り-盗人はいなくならない。
隣人の金をくすねる者、屋台で小銭をちょろまかす者、それらは後を立たなかった。
それは世の中が平和になればなるほど増えていき、人々は常に警戒するようになってしまった。
そんな折、ある噂が流れ始めたのだ。
「盗みを教える寺子屋がある」
どうやら、盗みが増えたのは偶然ではなく、ある寺子屋が今で言う「ノウハウ」を子供たちに教えているというのだ。
その寺子屋で一番に教わることが、「嘘のつき方」だという。
それから、泥棒の始まりは嘘をつく事を覚える事と言われるようになり、今の今まで諺として残っているのだそうだ。
人々は、4月の1日になるとこぞって嘘をつく。それはいずれもっと大きな嘘を呼び寄せてしまう。
泥棒にはならないかもしれないが、嘘をついてばかりではいけない。
っていうのも全部嘘なんですけどね。
今日中に投稿したくてギリギリになっちゃったのでクソ文です(これはホントです)