Je ne suis qu’un Japonais
結構がんばってるつもりなんだけどなぁ。毎週こうやって日本語で色々書いているんだから、少しは上達したっていいのにね。
新しく曲を作るにあたって、もう一度自分が書く日本語詞について深く考えている。普段英語で歌詞を書いているのは、それに慣れているからであって、むしろ日本語の歌詞を書くのがすごく難しく感じる。
これはすごく伝わりづらいというか、多分あんまり分からないと思うんだけど、僕にとって日本語は「母語すぎ」て逆に厄介なのだ。英語にすればなんかいい感じにオブラートに包まれたような表現も、日本語にすると途端に陳腐に感じてしまう。
細かいニュアンスの違いとか、より深い意味とか、そういうのが分かってしまうが故に振り切ることができない。というか、まあ普通に多分恥ずかしいのだ。
無論、別に歌詞を書くことが恥ずかしいとか、曲を作ることが恥ずかしいみたいなことはもう全然なくて、たとえば中2くらいで自分の作った歌を聴かれるのが死ぬほど恥ずかしい≒自分を曝け出すという行為への葛藤みたいなものは多分結構乗り越えている。
なんなら「黙って俺の歌を聞けよ」くらいには思っているんだけど、「恥ずかしい」の種類が多分ちょっと違う。
前述したように、僕にとって日本語があまりにも母語すぎて、少しでも「これちょっと微妙じゃない?」とか思うとなんだかもう全然上手くいかないような気がしてしまう。
意識しなくても意味を理解できてしまうが故に、ありふれた言葉や繰り返されてきたフレーズ、思ってもないような事の羅列が、「いや、これじゃ別に俺が書く必要ないじゃん」という気持ちにさせる。
と、同時に「いや、それでも書きたいんだよね」みたいな自分もいて、要は俺だって『ジンジャエール買って飲んだ こんな味だったっけな』とか『日々 あなたの帰りを待つ』とか『関内飛び出して濡らしたブラインド』とかを書きたいんですよ。
『変わらないものなんて 何一つないけど 変わるスピードが 違ったんだなあ』とかを大声で歌いたいのです。
そんなふうに思いながら増えるのは3行くらいのメモばかり。2年半前に書いた自分の歌詞は意外と悪くないな、と思ったりするけれど、今書いた歌詞は2年後に「これ、めちゃくちゃいいな」と思えるようでありたい。
タイトルはフランス語で「僕はただの日本人にすぎない」。
英語が好きだよ。英語も、韓国語も、スペイン語もフランス語も好き。こうやってたくさんの言語を通ってきた今だからこそ、「日本語」に挑戦してやろうと思った。