50
「雑記」の記念すべき50回目である。noteを始めたのは丁度色々なエッセイを読んでいた時期で、それらに感化されたのは言うまでもない。
最初は誰に読まれなくてもいい、日記のようなものだ、と思っていた。しかし一人二人と友人が記事を上げるたびにいつしかお互いの日々を覗きあっているようで、面白くなってきた。
そもそも、日記ならば誰にも見せずに棚の奥にでもしまっておけばよいのだ。それをせず、わざわざ公に垂れ流しているという事はきっと最初から誰かに読んで欲しかったのだ。
だから「誰にも読まれなくてもいい」と言いながらも書く文章は確実に読者の存在を認識している。この記事だってきっとそうだ。
早い話、自分だけが読むものならばいちいち言葉の表現を考えたり、漢字を開くか否かで悩んだりはしないだろう。日々感じることを言葉にして噛み砕きたいだけなら、殴り書きで十分だ。
誰かが読んでいるかもしれない、という気持ちで書く文章は、ただのメモ書きとは異なる。なるべく読みやすいように、なるべく面白くなるように、少しカッコつけたりしながら書く。
それは、しばらくして読み返す時には読者となる自分自身にも間違いなく向けられていて、「これ面白いな〜」と自分で書いた文のクセにニヤニヤしたりする。
ただの日記だったらこうはいかないし、おそらく続けられてもいなかっただろう。
と、カッコつけた事を言ってみるが、やはり皆からの「スキ」は嬉しい。それはもう、心躍るほどに。
ただの駄文を、本当に好きかどうかは分からなくても、誰かが読んでくれているというだけで励みになる。
明日もまた書こうと思える。
ありがとう。心からありがとう。
別に、明確な目標があるわけではない。ただ、いつか読み返して当時の自分にまた会いに行けるように、文字を連ねる。
それでも、50という数字は悪くないだろう。一日の終わりに、何かをした気になるために書く。そんな日々も悪くない。
これからもダラダラと、書きたい時に書きたいものを書く。
どれだけ続くかなんて関係ない。
ただ一歩一歩、一記事一記事を積み重ねて行くだけだろう。