また会う日まで。
全然知らんやつの卒業の話なんてホントはどうでもいいんだろうけど。自分と重ねてるわけでもなく、かといって完全なフィクションを見ているようなつもりでもなく、ただ目の前で起きる出来事は確かに美しいと思った。
最近はステージに立つことも多いけど、月の大半は裏方に徹することが仕事で、真っ黒な服を着ながら過ごしている。この時期は大学生の卒業イベントが入って、自分よりいくらか若い彼らの大切な日の手伝いをできればいいなと烏滸がましいことはわかっていながら思っている。
今日もそんな一日。朝が早くても文句は言わない。僕にとってはなんでもない一日のつもりでも、彼らにとっては一生忘れないような一日になるのだから。
しかし、あらためて大学生活というものは面白い。10代の終わりと20代の始めが交差する不思議な時間は高校生とはまた違った日々が続いていく。
自分の4年間、もとい5年間を振り返ってみてもそれはそれはなんとも形容しがたい時間であった。
もっと沢山のことをやればよかったとか、あれはやらなくてよかったな、とか。後悔は尽きない。かと言ってあの時間を忌むこともせず、むしろ尊く思っている。
時たま、「他の可能性」について考えたりもする。もし全く別の大学に行っていれば当然、出会う人も全く別の人たちだっただろう。そしたら何かを始めていたかもしれないし、何かをやめていたかもしれない。
好きなものや嫌いなものだって、変わっていたかもしれないし、今頃はどこかで放浪してるかもしれない。
でも、それはあくまでもただの妄想に過ぎなくて、輝いていた栄光の日々を失ってまで手に入れたいものではないと、強く思ったりもする。
年がバレるが、大学を卒業するときはちょうどこの忌まわしいウイルスが名乗りを上げ始めた頃で、まだ正体も分からない謎の存在に振り回されていた。
だから、こうして目の前で大々的に卒業イベントを行なっている人たちは羨ましい。ただ、羨ましいだけで不思議と妬みはない。
当時の自分達も同じようなことができればよかったな、と思わないといえばそれは嘘になってしまうが、だからと言ってこの目の前の出来事が美しく尊いことに変わりはないのだ。
人の門出を祝えるような立場でも、何か助言を与えられるような立派な人間でもないけれど、数日間一緒にイベントを作らせてもらった身として、「幸あれ」と言いたい。
蛇足になるが、昨日「最近の卒業ソングって何?」と聞かれたが、うまく答えられなかった。
僕にとっての卒業ソングは讃美歌だった。「また会う日まで」と何度も繰り返すその讃美歌は、あの頃何度も歌った歌だ。
多分、たとえどれだけ一般的な卒業ソングが感動的であろうとも、僕らだけの–そして彼らだけの歌には敵わないだろうと思った。
「また会う日まで」と一緒に歌った仲間は、意外と頻繁に会っている。あの頃みたいに毎日じゃないけれど、それでもいい。別れのたびに歌うわけではないけれど、僕らの卒業ソングは変わらない。