0と1とその間で

何かを作り出したい欲求というものが誰にでもあるのだろうと勝手に思っていたりする。例えば楽器を弾いたり、例えば絵を描いたり、例えばこのように長い文で何かを発信しようとしたり。「ないです」と言うのならばそれでいい。正直答えは分かっていない。別に強要はしないし、その人にはきっとその人なりの表現方法があるのだろうと「勝手に」思っているだけだからだ。

少なくとも私にはその欲求がある。これが承認欲求と呼ばれるものの延長にあるのか、はたまた全く関係のないところから出てきているものなのかは定かではないが特段それを明らかにする必要もないだろうと思っている。とにかく、私は何かを生み出したいのだ。

僭越ながら私は楽器を持って10周年となる年を迎えさせていただいた。その間、私を取り巻く環境も話す人もお気に入りだった喫茶店も変わってしまったが幸い14歳で手にしたギターは未だに離さないでいる。もちろんギターに対する考え方は右往左往しながら様々な時期を経て今、一度初心に帰ろうとしているところだったりするが。

本題に入ろう。10年間、弾かない時期もあったけどなんとか続けてきた音楽。自分で何かを生み出してやりたいと言う気持ちで始めたそれに暗雲が立ち込めてきたのである。何も生み出せていないのだ。厳密にいえば今まで何曲も作ってきたが、いずれも何かを生み出したとは言えないような代物ばかりで、つまり命を削ったような作品にはなってないというのが正しいのかもしれない。

結論から言おう。私はずっと自分が0から1を生み出すことのできる人間であると信じて疑わなかった。しかしもしかしたら、万に一つの可能性として、そうではなかったのかもしれない。私は人が作り出した1をなんとか10にすることはできても、全くの無から何かを作り出すということが実は向いていないのかもしれない。と。そう思い始めているのだ。

別にだから創作をやめようなんてことはこれっぽっちも思っていない。しかし私はただそれを私の中で意識するようになっただけの話だ。

正直に言おう。別にこれは何かの論文を読んだとか自分なりに研究したとかそういうわけでは全くない。テレビだったかラジオだったか本だったか、とにかくどこかでコンビの芸人がふと口にしていたくらいのものだったのだが、私の心にしばらく引っかかっていた。その話はなぜだかやけに説得力があったのだ。そうして今まで出会ってきた人の顔を思い浮かべながら彼らがどちらのタイプなのか考えたりもしながらふと自分はどちらなのかと思っても、答えが出せなかった。

それからしばらく頭を悩ませながら自分なりの創作活動をしてみたが、果たしてそれが正解なのかも分からなかった。とにかく何も分からなくなってしまったのだ。そもそも自分は本当に何かを生み出したいと心の底から思っているのかどうかという事すら、分からなくなった。

0から1を生み出す人と、1を10にする人。別にどちらが上だとか下だとかはない。全くない。しかし私は0から1を生み出すような人間になりたいと思ってきたのだ。いや、本当はそれすらもただの勘違いで実のところ私は1を10にすることもできないのではないか。


と、いうのが今のところの言い訳になる。私はまだ命を削って創作をしていない。これは単なる私の甘えである。本気で何かを生み出そうとしてない人間がつらつらと思っている事を語ったところでどこまでいってもそれはただの言い訳にすぎない。だからこの文章はいわば「ちょっと最近頑張りたいと思ってるんですよ」程度の事に色んな屁理屈や感情をこねくり回してくっつけているだけの長文で、夏休みの読書感想文でやけに段落を増やすとか、語尾に全部「だと思いました」とつけるとか、そういう類のものとなんら変わりない駄文なのである。

起承転結の結として、これは単なる決意表明のようなものだという事を明記しておく。しかもゆるゆるの決意である。「自分が何かを生み出したいと本当に思っているのかどうか分からなくなってしまったので色々やってみたいと思います。」というくらいの決意である。


最後に、こじつけみたいになるが、だからこそ今こうして筆を取っているのだ。何もない白紙の画面に文字を打ち込むことで何かを生み出そうとしている。もしかしたら、ほんとは二つのタイプなんてないのかもしれない。このデジタル化されてしまった世界では全ては0か1かだけ、それでおしまいなのだから。

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