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車は西へ。僕は東で。
仲が良かった人が辞めた。2本の道はまるで×印のように丁度一瞬だけ重なって、別々の方向へと伸びていく。大学の卒業式とも、居酒屋でのアルバイト時代の別れとも、カナダでの暇乞いとも違う、なんとも言えない心地になっている。
Dさんは常にいる人の中では一番歳が近く(と言っても五つくらい上なのだが)、よく話していた。いつも機嫌が良くて、気圧が低くて僕の調子が悪い日でもよく笑っていた。
仕事ができる人で、教えるのも上手かった。その割に変な独り言が多くて、つられて僕もよくぶつぶつと呟いてしまっていた。
上京したのはもうだいぶ前だと言っていたのに全く抜ける兆しのない関西弁が耳に心地よかった。
「辞める」と知ったのは10月の終わりだったと思う。上の人とはもうだいぶ前から話していたそうで、あとは日程を決めるだけというようなところだったらしい。
帰りがけにDさんが上の人に「12月で辞めます」と伝えているのを聞いた。他の人にとっては違ったのかもしれないが、僕にとっては青天の霹靂であった。
それからの2ヶ月はあっという間で、いつのまにかもう最後の日になっていた。
Dさんは国に帰ると言っていた。場所はどこですかと聞いたら、四国のうどんが有名なところだと言った。それは僕がまだ行った事のないところで、東京からは近くなかった。
「なんで辞めるんですか?」とは聞かなかった。多分色んな人に言われているだろうし、自分だったらそんな質問をされても上手く答えられる気がしなかったから。
「次のこと、まだ何も決まってないんだよね」とDさんは笑った。
「うどん屋さんでもやればいいんじゃないですか?」と言おうと思ったが、あまり面白くないのでかわりに「まあ、いいんじゃないですか」とだけ言った。
よく気のつく人で、いつの間にか携帯を買い替えた事がバレていた。所謂ベテランで、大体の事はDさんに聞けばなんとかなった。
Dさんに限らず周りの人は僕の事を不思議なあだ名で呼んでいたのだが、Dさんがつけたあだ名はとびきり可笑しかった。いつからそんな呼び方だったのかは記憶になくて、気づいたら定着していた。無論、そのあだ名を使うのはDさんだけだったが。
12月23日。いつものように扉を開けて、いつものように準備を始めても、いつもの声は聞こえてこなかった。
他の人もなんだかいつもより覇気がないように見え、全員で一つの空いた穴を埋めるようにいつもより増えた仕事をなんとなくこなした。
まるで灰色のフィルターがかかったように、いつもと同じ景色もくすんで見えるようだった。
これから先何度も訪れるであろう、ただの別れにいちいち落ち込んでいては仕方ないと思いつつも、変な感傷に浸ってしまう。
西から、北から、東から。色んな地方から東京に集まってきては去って行く。夢破れてか、事情があってか、まるで東京は一時の場所でしかないというように。
それならば僕はどこにも行けない。東京に生まれてしまったばかりに、夢が破れても、何があっても、ただこの灰色の街で時の風に吹かれながら頭を抱えているしかない。
勝手にやってきて、勝手にいなくなるなんて、勝手が過ぎる。それでも、「だったら最初から来なければよかったのに」とは言えない。せっかく出会えたのに、去っていく。その様がただひたすらに悲しく、いつも見送る側になる自分は訪れる空虚な日々を、無機質なビルの下でやりすごすしかないのだ。
最後の日、「もう、すぐ東京を発つんですか?」と聞いた。
「そう。明後日には車が来ます」と言われた。
「では、達者で」と言ったら笑ってくれた。
冗談半分、本気半分。本当に達者でいて欲しいと思っている。
僕はどこにも行けませんが、ただこのうるさい街でどうにかやっていきます。いつか、もし2つの道が重なることがあれば、その時はまたくだらない話をしましょう。
あなたのつけた変なあだ名も甘んじて受け入れます。