グラスの氷
先に断っておく。これは駄文も駄文、怪文書の類と呼ばれてもおかしくない。何も内容などないのだ。
世の中学生というものがどういうものなのか、私にはわからない。わかりたいと思わないでもないが、今更どうしようもない。
私は中学生になってすぐ寮に入れられた。細長い玄関に入った時に鼻腔をついた独特の香りが掃除に使われていたマイペットのものだったと気づくのはもう少し先の話であったが、とにかく不思議な場所だった。
いや、ここでいう不思議とはもしかしたら「変」ということを無理やりオブラートに包んだようなものなのかもしれない。本当の気持ちをいえば、まあ、とてつもなく変なところだったのだ。
「浮世離れ」という言葉があるが、あの寮はまさに浮き世とは隔絶され、時代に取り残されたまま独特の雰囲気を放っていた。「自治寮」といえば聞こえは良いが、実のところはそんな大層な事を名乗れる様な場所だったかどうかと問われても即答できる自信はない。
簡単に私がどんな生活を送っていたかを記そう。簡潔にいえば、入りたての中学一年生は「奴隷」である。この間までランドセルを背負って外で遊ぶことに命を懸けていた様な子供達が先輩方の手となり足となり、言われた事に対しては「はい」か「分かりました」の二択しか与えられなくなるのだ。日々の生活をこなすだけで精一杯、自分に余裕をもつ暇などこれっぽっちもない。大げさに聞こえるかもしれないが、事実なのだから仕方がない。とにかく私は中学生になって奴隷になった。
その後学年が上がるといきなり威張り始めるとか、反骨精神によって色々な悪さをするようになるとかといった話は割愛しよう。今回は私がその奴隷生活で得たものについて話したい。
中一にはたくさんの「仕事」が与えられる。と、いうよりはむしろ仕事or DIEという状況に置かれている。もしサボったりなんかしたら上級生からの鉄拳制裁(一応平成なので概念です、昔は物理だったそうですが)が飛ぶ。だからもうとにかく我武者羅にやるしかないわけだ。
外からの情報は隔絶され、部屋に届く新聞だけが唯一外界との接点であった。平日は学外に出ることは許されず、唯一決められたランニングコースの4キロ間だけが例外となっていた。休日は土曜日の授業が終わった後に財布を返してもらってから始まり、日曜の19時には終わってしまう。決められた食事以外を口にすることは許されず、漫画もゲームも禁止である。改めて文字にしてみるととんでもないな、と思わざるを得ない。なんというところにいたのだ自分は。
とにかく私は死にそうになりながらそんな日々をなんとか乗り越えた。決められた仕事を如何にして早く正確に終わらすか。そうずっと考えさせられていた。
そんな監獄から解放されてからしばらくして、私はアルバイトの店員として居酒屋の隅で食器を洗っていた。今はやめてしまったが、悪いバイト先ではなかった。稼ぎの面ではあまり良いとは言えないが良くも悪くも私に合う環境だったと今では思う。
自分で言うのもなんだが私は根暗だ。正直、大きなチェーン店の厨房やホールなどでは働くことができなかっただろう。対して私がアルバイトをしていたのは個人店だ。席数も多くなく、来る人は皆常連というような店は私にとって居心地が良かった。客との距離も近く、店長や他のアルバイトと話す時間も楽しく感じた。アルバイトに入った日の夜は店の酒が飲み放題で、毎度店長と二人でいい感じに酔っ払うまで帰らないというのが恒例であったために、気づいたら酒に溺れ、大量の賄いを食らい、体重が右肩上がりに成長して言ってしまったのはまた別の話であるが。
そんな居酒屋で働きながら、もちろんミスをしながら、なんとか店長の意を汲もうと動いていた。決められた仕事の中で自分が出せる最適解をどうにか導き出せないものかと考えていたのだ。これではまるで中学一年生で右往左往していた時と同じではないか、と気づく。
食器を洗いながら、背後でグラスの氷が「カチャッ」と鳴く音が聞こえた。ちなみにドリンクを作るのも私の仕事である。振り返って空になったグラスを認めるとすぐに手を洗っておかわりを作りにいった。
「氷の音でおかわりを感じて来たの?すごいね」と言われたが心の中で「そういうこと言われると次からちょっとやりにくいなあ」と思うと同時に褒められることなんてなかった中学一年生の自分が少し胸を張っていた。