昔は楽しかった、などと口走る暇もなく

時折、中高生の頃を思い出したりする。その懐かしさの中には恥ずかしさも含まれていて、頭を抱えて忘れてしまいたくなることも多くあるが、それでも当時の事を思い出したくなる時がある。

別に、大学生時代や今が楽しくないわけではなく、むしろ充実しているような気さえしている。仲間と集まって朝まで酒を飲んだり、頻繁に会うことはなくなっても、むしろわざわざ会う人たちとの絆が深まったり、良いな、と思うことも多い。
しかし、それは決して中高時代の楽しさではないのだ。

「楽しさ」というものをどうやって比べたらいいのかは分からないが、例えるなら同じキンポウゲ科の中で美しい花を咲かせるニリンソウと強い毒をもったトリカブトのように、似ているがはっきりと異なっている楽しさが存在するのだと思う。
朝まで酒を飲むことは楽しい。
友人と音楽を演奏することは楽しい。
菓子だけのパーティーも楽しい。
楽しいことには変わりないが、それら全てが同じとは言い切れない。

中高時代の楽しさとはなんだったのだろうか。金があるわけでもなく、酒が飲めるわけでもなく。ただ何者かになれるような気がして、意味もなく屋上に上って青く広がる空を眺めていた。
日々、言いようのない鬱憤ややりどころのない気持ちが、有り余るエネルギーに後押しされて空回りしながら出どころの分からない焦慮に駆られていた。
それらが発散される時には、意味もないようなことばかりして、馬鹿みたいに笑って、朝日が昇るのを眺めたのだ。
ただそれだけで面白おかしく、楽しかったのだ。
未熟であるが故の根拠のない自信が、意味を考える隙すら与えずに、ただ一心不乱に楽しんでいた。

時折、寂しくなる。今の日々の楽しさとは違った、あの頃の楽しさをもう一度味わいたいと思うのだ。そして、それが叶わないことを理解してしまっているからこそ、余計に寂しくなり、また思い出は美化されていく。

「戻りたい」と言うわけではない。ただ前を向いて進む日々に浮かぶ一抹の寂寥が時折顔を覗かせて、あの頃の自分に、あの頃の仲間に、会いたがるのだ。

きっと、どんなに忙しく、忘れなければいけないことが沢山出てくるようになってしまっても、その気持ちは常につき回っていくだろう。振り返るいとまはなくても、立ち止まる猶予くらいはあるだろう。

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