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記憶に残らない程の没頭を、
15cmほど開かれた窓から、夏の残り香を含んだ風が入ってきては車両を通り抜けていく。長袖でも半袖でも許される季節だ。家に着くまでの長く短い時間。久しぶりに筆をとろう。
最近はこの時間は本を読んだり、楽譜を書いたり、音楽を聞いたりしていた。気づけばnoteを一週間も更新していなかった。特に書く理由も書かない理由もないが、文字に起こすことで不安定な気持ちを落ち着かせようとしている。そういう意味では、これは一種の現実逃避でもある。
文字を書いている時は良い。その事だけを考えていればいいのだから。そうして嫌な思考が挟まる隙間をなくす。雑念も煩悩も、何かを造る時には無縁だ。
もちろん、その過程で思い出す必要のないことが脳裏に現れて悶絶するかもしれないが、何もない時に突然襲われるよりはいくらかマシだ。
映画を観ている時、音楽を聞いている時、芝居を観ている時、本を読んでいる時。そこにはたまに隙間が空いていて、急に我に帰る事がある。そのぽっかりと空いた穴に落ちてしまえば、どこかから俯瞰で自分を見ている気になって憂鬱と不安の海に落ちていく。
「集中して何も考えずにいよう」と思っているその時、既に集中は途切れていて、深みに嵌っていく。
それでも、何もしていない時よりは幾分か良い。だから、誤魔化すように何かを観たり聴いたりする。
『ネガティブを潰すのはポジティブではない。没頭だ。』とオードリー若林のエッセイで読んだ。
思い出せば、ライブをしている時の記憶はあまりない。というよりも漠然とただ演奏をしていた時間の楽しさと、適度な緊張感が生み出していた『没頭』がそうさせているのだろうか。
友人と楽しく話している時間も、また『没頭』かもしれない。笑い合った話に限って覚えていないのは、何も考えずにいられたからかもしれない。
イヤホンで耳を塞ぎ、何かを書いて、没頭しようとしている。一人で何も考えずに電車のシートに体を落ち着かせる事は僕にはできそうもないから。