身も蓋も袋もない
『次は、新宿、新宿です』
車内に車掌のアナウンスが響く昼の山手線。僕はそこにいた。
隣の席に座る人の事をあまり考えることはない。とてつもなく体躯が大きいとか、異臭を放っているとかでなければ誰が座ろうとどうだっていい。
が、それが例えば片手に酒を持っていて、尚且つツマミまで用意していたらどうだろう。
隣に座った男性は大きなリュックを足元に置いて、どっしりと構えている。暖かそうなジャンパーから出ている右手を紺色の作務衣の膝に置いていた。
左手には口の開いたビールが握られていて、薬指にかけたレジ袋にはポテトチップスがそのまま入っていた。
そのまま、というのは文字通りそのままであって、いわゆる包装紙、パッケージのようなものから一度中身をあけた状態---揚がった芋がビニール袋に直に入っているのだ。
揺れる車内の中で、彼は何も臆することなく浅黒く分厚い右手を断続的にビニール袋に突っ込む。そして取り出したポテトチップスを口に運んではまた右手を膝に戻す。
「パリパリ」という咀嚼音と芋の匂いは隣にいる僕に否応なしに降り掛かってくる。もちろん、左手のビールも適宜摂取していた。
彼は、何駅もの間それを続けていた。
本を読むでも、スマートフォンをいじるでもなく、どこを見ているのか、何を考えているのか、全く分からない目をしてひたすらに。
話し声もほとんどない車内に、彼の咀嚼音とビールを啜る音がこだまする。
誰もが少しだけ目をやってはすぐに逸らす。
僕はなんだか気が散って仕方なくなり、読んでいた本のページが進まなくなってしまった。隣が気になって気になって、読んだのに頭に入っていない場所を何度も読み返す。
「こんなに同じページを読んでいて怪しまれないだろうか…」とか「かといって突然本を閉じるのも不自然か…」など関係のないことばかりが頭の中に浮かんで、全く集中が続かない。
しかし、ふとなぜそんなに狼狽えているのか、と思った。そして「車内の飲食はどこまで許されるのか」とおよそ開いている本とは関係のない事を考え始めていた。
ご時世を抜きにすれば、新幹線で酒盛りをしている人を見ても何も思わないだろう。特急列車でもそうだ。
弁当を食っていようが酒を飲んでいようが、好きにすればいいと思う。
距離の問題か?いや、東海道線で昼間から酒を飲んでいたら少し痛い目で見られるだろう。
今まで何度か鈍行で西に向かったことがあるが、さすがに通勤電車としても使われている路線でそんなに派手なことはできなかった。
それに、例えば同じ距離を移動するとして、鈍行で行く時はダメなのに特急なら大丈夫な事の説明がつかない。
だとすると、シートの問題か?いわゆる都内の電車に見られるロングシートでの飲食はなんとなく憚られる印象がある。水を飲むとか、飴を舐めるくらいだったら許される気がするが、中々弁当を広げる勇気はでない。
ボックスシートだったらどうだろう。なんだかアリな気がする。飯能から先、秩父まで向かう電車で弁当を広げる光景はままあるだろう。
では、ボックスシートといえど通勤で使われていたら?
JR西日本の辺りに入ると、やけにボックスシートが多い気がする。(気がするだけなので間違っていたらすみません)
鈍行の旅の途中、ラッシュ時に混み合った車内で何かを食べた、もしくは食べている人を見かけた記憶はない。
席の問題ではないのかもしれない。
そうなるともう、速さしかない。
鈍行<特急<新幹線の順に、食べていいものは増えていくのではないか。
たしかに、新幹線だとなんでもアリな気がしてくる。
酒盛りもよし、弁当もよし、何を食べようが咎められることはない。
そういえば更に速い飛行機では弁当どころか食事が出るじゃないか。
答えは速さ。そういう事にしよう。
と、ここまで書いてみたわけだがどう考えてもその論理はおかしい。
食堂車がある特急だってあるし、グリーン車だったら普通の路線でも何を食べてもよさそうだ。
そもそも、ダメな事じゃない気もする。おじさんはおじさんがしたいようにしているだけだ。
昔の電車はこうだったのかもしれなくて、おじさんが置いてかれてるのではなくて、僕らが勝手に先に進んでしまっただけなのかもしれない。
ただ、やっぱ日の明るいうちから電車でビール、しかもこのご時世にノーマスクはちょっと、嫌というより怖さがあるな、と思ったりする。
車内で食べてもいいものの範囲の話に戻るが、まあ、多分金額だろうな。金を出せば快適に移動できる訳だし。
なんとも身も蓋もない、おじさんのポテチには袋もない、何にもない話になってしまった。