悪魔の取り分
エッセイまがいの文を投稿しはじめてからそれなりに時が経った。140文字という制限の中で好き勝手に呟いていた日々も悪くはなかったが、長々と書くことが許される(それでいてありがたいことに読んでくれる人もいる)という状況に、最初のうちは水を得た魚のようにキーボードを叩いていた。
そのうち変な欲が出てきたのか紀行文に憧れて第一話だけ書き上げたまま更新しなかったり、「いままでで一番文字数の多いものを書きたい」と意気込んで小説なんぞを書いてみたり、好き勝手にやってみた。
しかし、最近はどうにも更新が鈍い。もちろん自分でも分かっている。
書きたいと思っている事は日々たくさんあるのに、中々文章に起こすことができないのか。
一つに、数が増えた分変なこだわりも増えてしまった事がある。殴り書きからある程度形のある文章へ。その過渡期としてなのか、中々満足のいくものが書けない。
更に「ネタ切れ」という事ももちろんある。ここで言う「ネタ切れ」というのは「書くような題材がない」という意味だけでなく、「書きたいものはあるのだけどそれを上手く言葉にすることができない」という意味での「ネタ切れ」でもある。これは純粋に自分の力不足(語彙力であったり、文章構成能力)でもあるが、それ以上に言葉にする事に痛みを伴う–つまり技術力ではなく精神力的にまとめることができないものも多い。
失敗した事を笑い話にするのには少し時間がかかるように、まとまらないぐちゃっとした感情を言葉にしようと無理に書き出しても、まだその時ではないというかのように筆が止まってしまう。書きながら繰り返す自問自答の末にひっそりと下書きへと消えていく。
ウィスキーやワインに飲み頃があるように、今はまだ、もう少し熟成させなければいけない事がいくつもあるのだ。
反面、当たり前ではあるが時が過ぎれば過ぎるほど記憶も薄れていく。まさにその時に抱いていた感情も時と共に少しずつ消えていってしまう。
変に書きはじめてしまったせいで、完成もしていないのにその事にケリをつけたような気になって、本当に言葉にしたかったものから目を背けたまま、忘れていってしまうのか。
下書きという名の樽に詰め込んだ気持ちは、天使の分け前と同じように日々蒸発していく。その前にどうにか、まだ飲めるうちに言葉にしようと思ってまた樽を覗き込んではその渋さに眉を顰めている。
そしてきっと、空になった樽に染み込んだ最後の部分を、どうにか文字に起こそうとして無理矢理取り出すのだ。それこそがきっと、一番渋くて一番濃いところなのだ。
それまではまだ飲み頃ではないと言い訳をして、熟成を待っている。