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瓦斯の中の夢

「ほら、もうすぐだよ」前を歩く彼が言った。昨日の晴天が嘘のように周りは雲に覆われていて、視界はお世辞にも良いとはいえなかった。
東京ではもう夏真っ盛りだというのに道には所々雪が残っていて、歩きづらい。ただでさえ履き慣れない靴がしっかりと地面を噛んでいて、安全ではあるかもしれないが足取りは重かった。先頭を歩く地元のガイドの足元はただの長靴で、まるで何もない道にいるかのように軽やかに足を運んでいる。

「そら、ここが山頂だ」とガイドが言う。ここまで長いこと歩いていたせいでそれが尾根に現れるただの登りなのか山頂なのかは、彼のその声を聞くまでは分からなかった。
辺りは完全に雲に覆われていて、限られた視界の中でそこを山頂だと決定させるものは「白馬岳山頂」と書かれた碑だけだった。

もう体は疲れ切っていて、出来ることならさっさと寝てしまいたかった。雲の中でも雨が降っていて、7月だというのに凍えていた。2000メートルを越える山の頂では遮るものなど何もなく、風が強く吹き付けていた。
「やっとここまで来た。さすがに休憩を取ることになるだろう」と思った。しかし、その憶測は甘く、先導者の足が止まることはなかった。

我々の目的地は一度山頂を越えてから少し下ったところにある山荘だった。日本でも有数の大きな山小屋で、高校生になった私は夏休みのアルバイト先としてその場所を選んだのだった。
別にどうしてもそこで働きたかったわけではない。ただ、なんとなく先輩の跡を追って、気づいたらそこにいただけだ。

仕事は、楽ではなかったが、きつくもなかった。言い方は悪いが、健康でさえあれば誰でも出来るような仕事だった。とにかく朝が早く憂鬱であったが、友人と一緒に行っていたおかげもあって退屈はしなかった。
最初のうちは毎日感動していた風景もいつの間にか日常のものとなり、特に意識すらしなくなった。遠く富山湾を眺め、高い木のない山の景色は今思い出しても美しいが、当時の自分にとってはただの見飽きた風景に過ぎなかった。

不思議な場所であった。標高が高いせいで夏でも気温は低く、甲子園大会が流れるテレビを炬燵に入りながら見ていた。
従業員が屯する部屋はいつも煙草の臭いがしていて、彼らが言うところの「下界」の猛暑のニュースを見ていた。
朝は日が昇る前に起きて、朝食の準備をして、それから部屋の掃除、しばらく休みがあって夕食の準備。ただそれを繰り返す毎日であった。

無論、良い思い出ばかりではなかった。ただでさえ登山で疲れているのに連日休みもなく働き、地上との気温差や、気圧の違いなどで体調は優れなかった。
ミスをして怒られる事もあり、悔恨に唇を噛む時もあった。思い通りに行かぬ事が歯痒く、ただ俯いて朝が来るのを待った。

丁度、今の自分よりも2つか3つほど上、20代後半だと思われる同僚がいた。最初のうちは彼にはよく思われていなかったのか、折に触れて強い言葉をかけられたが、私が滞在した1ヶ月間の終わりの方には知らぬうちに仲良くなっていた。
彼は、休みの時間を資格の勉強に使っていると言っていた。詳しい事は聞かなかったから、彼がどうしてあの場所にいたのかも、どういった人生を歩んで来たのかも、私は知らない。
山を降りるまであと1週間というくらいの時から、麻雀を教えてくれた。思えば、仲間が欲しかったのか。それともただの親切心からか。
しかし、一度か二度話を聞いただけで結局実戦をする事はなかったし、わたしは未だに麻雀ができない。

その次の年にまた同じ山小屋に行った時、彼はいなかった。無事に資格を取れたのだろうか。新しい人生を歩み始めたのだろうか。
たった一瞬、人生が交差しただけであったが、なぜか彼のことを記憶している。
いつの間にか、私はその時の彼と同じように煙草を吸っていて、同じような歳になってきていた。
叶うならば、あの山小屋の厨房の外で、彼と一服したいと思った。山で吸う煙はさぞかし美味だろう。

「お疲れ様」という声が聞こえた。ハッと顔を上げると、見覚えのある顔があった。
私は、1ヶ月前に山荘に到着してからというもの、食事の時間はひたすら洗い場で食器を洗っていた。
返却されてくる何百もの食器をただ無心で洗い続け、汚れていく水を見下ろしながら時間が過ぎ去るのを待っているだけだった。何も変わらない日々がただ淡々と流れて、山の澄んだ空気に吹かれては過ぎ去っていった。友人たちも一人また一人と山を降り、当初の賑わいもどこかへ行ってしまった。
あてがわれた部屋はただの布団小屋で、酷い湿気に悩まされていたが、人が減っていくにつれ気温は下がり、暖房もない中煎餅布団に包まり夏の寒さを凌いでいた。
「孤独」という訳ではなかったし、辛い、と感じた訳でもなかった。ただ、積み重なる小さなストレスやどこにも行く事のできないという環境が、いつの間にか心を疲弊させていた。

声の主は、初日のガイドだった。彼は私たちを山小屋に送り届けた後すぐに帰ってしまって、それから会うことはなかった。
しかし彼はまたやって来て、声をかけてくれたのだった。
彼は「頑張ってね」と続けた。きっとそれは彼にとっては大したことではなく、当たり前のように、軽く声をかけただけにすぎないのかもしれない。
しかし私にはその言葉がとても温かく感じ、それまでの日々が報われたかのような気がした。
「仕事をしにきているのだから、仕事をするのは当たり前」というのは間違いがない。自分から山に登っておいて文句を言うのはお門違いだ。
それにガイドの彼も、もしかしたら普段はもっと厳しい人で、ただ一緒に仕事をしている訳ではないから声をかけただけなのかもしれない。

それでも彼がかけてくれた言葉は、荒んでいた心に温かく染み込んだ。否定もされないが、決して肯定もされない、ただ繰り返しが続く日々の中で、初めて自分のやっている事が肯定された気がした。

あの山は今日も雲の中だろうか。今の時期はもう小屋を閉めているだろうから、きっと雪に覆われているだろう。
思い返せば現実感のない、まるで夢の中のような日々であった。いつか、視界を覆う靄が晴れてまたあの夕焼けを見るような日が来るのだろうか、と思ったりもする。
瓦斯の中で、大人でも子どもでもない私が、逃げ場のない新しい社会に飛び込んでいった事を、いつかまた思い出す時が来るのだろうか。

あとがきにかえて
僕は2年に渡り計2ヶ月ほどこの山小屋に滞在しました。今となってはどの記憶が1年目で、どの記憶が2年目なのかというのを思い出す事ができなくなっていて、時系列がごっちゃになっていたりします。
加えて、変に筆が乗ってしまったせいで、本当にそう思っていたのか分からないことまで書いているような気がします。
半分事実、半分脚色、もしくはフィクションだと思ってもらえれば幸いです。

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