2020新年言志
今、窓を通り抜けて入ってくる突き刺すような朝の光の中でこの文章を書きはじめた。男子部生だった自分にこのことを伝えたらきっと驚くだろう、高校生にとって夜が明けるなんてことは一大事だ。
気づけば昇っていく太陽を見ても特別な感情を抱くことがなくなっていた。居酒屋を出て、眩しい中を千鳥足で帰るような非道い日常にすっかり慣れてしまったのだろう。家に帰って財布の中身を確認もせずに倒れこむような日常に。
日の出を見ると、たまに思い出す百人一首がある。
明けぬれば 暮るるものとは 知りながら
なほうらめしき 朝ぼらけかな
夜になればまたあなたに会えるとはわかっているけれどそれでも朝日が恨めしいという意味の歌だそうだ。
この場所から見えた昧爽もまた、恨めしく感じた。決して何か大層なことをして夜を徹したというわけでもなしに、なぜだ。
あるいはどんな夜明けも恨めしいのかもしれない。白日の下では日の光に晒されて身動きが取れなくなってしまう。また夜がくれば闇に隠れて堂々と歩けるのかもしれない。
五年の時を費やしたこの学生という身分での生活も、夜明けが近い。きっとまたいつか日が暮れて夜がくるとは分かっているものの、それでも恨めしい。さりとて今まで何度も朝焼けを見てきたはずだ。冬はつとめて。今はまだ明けていない。春になれば美しいのはあけぼのである。
それまではこのくだらない日常を謳歌しよう。
すぐに夜明けが来る。