それはそれ、これはこれって。言うけどさあ(cv.松尾さん a.k.a. サカガミくん)

作品と作者を切り離して考えるべき。なのか?

友達の書いた文が好き。友達の描く絵が好き。友達の歌う歌が好き。
それはそのコンテンツだけじゃなくて、友達一人一人の性格とか、好き嫌いとか、一緒に遊んだ時間とか、そういうの全部ひっくるめて好き。

逆に、めちゃくちゃ好きだったアーティストとかでもなんとなく自分にとって・・・あくまでも個人的に、「違くね?」って思うことを言っていたりするとしばらく距離を置いてしまったりもする。
もちろん、その人が言っていることと曲がいいか悪いかなんて関係ないんだけど、好きか嫌いかには「人」ありきで考えてしまう。

ただ、全てそうかと言われるとそれも違って、どんだけヤバいことを言ってる人でも「まあこの作品自体は悪くないしな…」と思う事も多々ある。
昔の映画を今観たら「ちょっとやりすぎでは?」と思う事があるように、時代もあるし、その人が今も同じ事を思っているとは限らない。

それでいうと、「作品は嫌いだけど人は好き」という事も起こりうる。
「まあ、ちょっと微妙だったけどこの人の話は好き」もうすこし大袈裟に言うと「曲調は好きじゃないんだけどMCは嫌いじゃないな」みたいな事はそんなに珍しい事でもないはずだ。

だから、という接続詞が正しいのかは分からないけど、「人と作品は一体」という意見と「人と作品は別物」という意見が拮抗するのはむしろ自然だと思うし、答えなど出る事のない議論だろう。
大体、自分一人であっても時と場合によってそれは変わってしまうし、一貫性など皆無である。

しかしながら世の声は常にどちらかである「べき」を強いてくる。まるで揺れ動くものなどこの世には存在しないかのように、「どちらか一方の意見に賛成するべきである」という圧力が、私の体感では「ある」。

人は正解を欲しがる。たとえそこに正解などないとしても、「正解の様な何か」を作り上げたがる。
作品を好こうが、人を好こうが、もちろんどちらも嫌おうが俺の勝手だ。お前に指図される筋合いなど微塵もない。

「この中で罪を犯したことのないものだけが石を投げなさい」という言葉が沁みる。
人を叩く人を、私はむしろ尊敬の念を持ってみている。
そこまで自分のことを棚に上げられるその精神力と、また自信が、怖いほどである。

「日本では有名人は政治発言がしにくい」という論調がある。そうか?と思う。
好き勝手に言えばいい。逮捕される事も処刑される事もない。
ただ、人気商売でやってるならそれで人気が落ちても知りません、ってだけであると思っている。
言うのも自由、それを聞いて嫌うのも自由。その上で各々が判断しているだけであって、それ以上でもそれ以下でもないのではないか?と私は疑問に思ってやまない。

人と作品は切り離して考えるべき?
それは俺が勝手に決める。余計なお世話である。

追記:私が言いたいのは、私は「賛成」や「反対」を決められるほど立派ではないと言うことです。あしからず。

いいなと思ったら応援しよう!