名前をつけて
「左右盲」という言葉があるらしい。ある程度年をとっていても、咄嗟に右と左が分からなくなるのだという。「方向音痴」という言葉がある。地図を見ても自分の居場所が分からず、すぐ道に迷ってしまうのだという。幸い、私はどちらでもないと思っているのだが、似たようなことでいくつか思い当たる節がある。
私は小さい「ゆ」と「よ」が咄嗟に分からなくなる。これがひらがなならまだなんとかなっているが、カタカナになるとそれが顕著にあらわれる。頭の中で音は覚えているのでパソコンで打っている分には全く問題ないのだが、手書きになるとダメになる。例えば「ショート」と「シュート」という言葉を手で書くときに、二文字目の「ㄱ」を書いた時点で一瞬手が止まる。頭の中で形と音が結びついてなくて、迷いが生まれてしまう。なんとか書き終えてから全体をみて間違いに気づくこともしばしばだ。
別にこれで大きく困ったこともない。人前で手書きの文字を披露する機会は激減しているし、間違えたところで何か大きな問題に発展するようなことでもない。しかし、二十歳をこえた大人がカタカナの「ュ」と「ョ」を書き分けられないというのはどうだろうか。誰かこの現象にも名前をつけて欲しい、もしすでにあるなら教えて欲しい。悩むのは時間にして一秒にも満たないくらいの短い間なのだが、気になってしまう。
「短い」といえば、手書きになると私はこの漢字の偏と旁がごちゃ混ぜになってしまう。つまり「豆矢」と「矢豆」のどちらが正解かが分からなくなってしまうのだ。そして大抵「豆」と最初に書いてから気づき、「矢」の字を無理やり押し込んでやけにバランスの取れていない歪な「短」を作り出してしまうのだ。
「歪」といえば、私はこの漢字の読み方に慣れていない。「歪み」と書いた時に、普通は「ゆがみ」と読むのが正解なのだが、ギターの話になると「歪み」は「ひずみ」と読むのが正解になる。しかし私はなんともこの使い分けが下手でギターの話をしながらゆがんだり、普通の会話でひずんだりしている。もちろんそれをわざわざ指摘するような人もいないが、間違いであることにかわりはなく会話の中に違和感を生んでしまっていることも事実だ。
「違和感」といえば、よく紹介される誤用として「違和感を感じる」というものがある。本来の言い方としては「違和感を覚える」が正しいらしいのだが、私はいまだに覚えることができず、感じてしまっている。しかしこれも言ったあとに気づき、勝手に反省をしていたりもする。誰も言及しないとしても直していきたいと思っていたりする。
「言及」といえば、私はこの単語の読み方にいまいち自信を持てていない。「ごんきゅう」なのか「げんきゅう」なのか頭の中で分からなくなっている時が多々ある。そしてこちらはパソコンで打つよりも手書きの方がスラスラ書くことができる。音が分からなくても漢字さえ覚えていればいいからだ。
私は他にも「オルニチン」なのか「オルチニン」なのかが咄嗟に分からなくなったり、「ナダデココ」のイントネーションで揉めたりする。誰かこの現象に名前をつけてはくれないか。
「現象」といえば、「象」なのか「像」なのか、咄嗟に分からなくなるときがある。