Good-bye Adios SAYONARA
台湾人の友達と、彼の知り合い二人とお茶をした事があった。一人は同じ台湾人の女の子で、もう一人は日本人の、おそらく少し年上のお姉さんだった。もう名前も覚えてないのでAさんとしよう。
昼下がりだったと思う。午前中はその時開催されていた台湾フェスかなんかに私は友達と二人で行っていて、昼前に合流したのだった。台湾人の女性おすすめのお店に行って、少し話した。
その場で全員が分かる言葉は英語なので、基本的に会話は英語である。Aさんに話しかける時も英語。暗黙の了解というか、マナーというか、一緒の空間にいるのに分からない言葉で喋られるのはあまり愉快じゃないよね、という共通認識の下である。
だから、お互い日本語を解する事を知っていても特に必要のない限り英語を使う。それは台湾人の二人もそうで、彼らも基本的に台湾語は使わない。
そうすると不思議なもので、私は段々とAさんが日本語を喋るという事実を忘れてしまうのであった。
台湾ガールのおすすめの店は、台湾のお茶を出している、オシャレなカフェだった。甘いものを食べて、確か私はコーヒーを飲んでいた。店員さんも台湾の人で、台湾語を教えてもらったりしながら談笑していた。
「これ、美味しいよ」
「じゃあそれにする!」
Aさんは台湾ガールにすすめられた不思議な名前のお茶を頼んだ。
それからまたAさんは「台湾語でありがとうってなんて言うの?」とか「日本のこと、何か知ってる?」とか、楽しげに会話をしていた。
しばらくして店員さんがポットに入ったお茶を持ってきた。ガラスでできたポットは中がよく見えて、立ち上る湯気からそれが淹れたてであることが分かった。
透明なガラスの向こうの中身を見る事はできたが、それが何の茶なのかはわからなかった。多分複雑に調合された、ハーブティーのようなものだと推測した。
Aさんは嬉しそうに熱々のポットからティーカップへと茶を注ぎ、香りを嗅ぐ。それを薦めた張本人である台湾ガールは、彼女の感想を今か今かと楽しみにしている顔でその動きを見つめていた。私と友達もなんとなくそちらに注目して、Aさんの口が開くのを待った。
ほどなくしてAさんはカップを口へと運び、熱そうに啜った。
「えっ、まずっ!」
時間が停止する。台湾人二人は突然聞こえてきた日本語に怪訝な顔をしている。
私もまた、初めて聞いたAさんの日本語に驚くとともに、その言葉の意味を理解できるあまりに二人とは違う意味でも絶句していた。
数秒がたって、Aさんは笑った。それは先程の言葉を誤魔化す様にも、純粋にその味に対しての様にも見えた。
それを見て、私も途端に面白くなってしまった。よりにもよって彼女の口から発せられた日本語が「まずっ!」であるとは。しかも台湾ガールが選んでくれたお茶が。心の中では「いや、まずいんかい!」と言っていた。
咄嗟にでた言葉は間違いなく彼女の母国語で、おそらく率直な感想だったのだろう。これは私見だが、周りに日本語を理解する人がいないと、結構な暴言を吐いてしまうことがある。私にもその経験があった。だから、これは私の推測にすぎないが、Aさんは咄嗟に日本語で本音を口にしてしまったのではないか。
しかし運が悪いことに、そこには私が、日本語を解する日本人が彼女以外にいたのであった。いくら英語に混じっていて、突然であったとしても、母語話者である私にはその意味が分かってしまう。
咄嗟に出た隠されるべきであった本音は、私の存在によって顕になってしまった。
その後はどうしたか。確か私も慌てて日本語で「えっ、まずいんですか?」と聞いた気がする。
Aさんは「あ、うん」と答えた。
しかし今やるべきことは取り残された二人にどうにかこの状況を説明する事だった。
我々二人、日本人。本音と建前を重んじる国民。
だが、どう考えてもそれを遂行する事は不可能であった。たとえ言語が分からないとしてもAさんの反応はどう見ても美味しいものに対するそれではなかったのだ。
残念ながら我々は早々に白旗をあげ、「ごめん、口に合わないみたい…」と精一杯のオブラートに包む事しかできなかった。
とにかく、急に聞こえた日本語に対して私は無防備であったのだ。
もう一度、急に聞こえた日本語に笑ってしまった出来事がある。
カナダで、私は所謂郊外に住んでいた。そのため、街の中心に行くためにはバスと電車を乗り継ぐ必要があった。
トロントという街は公共交通機関がそれなりに発達しているおかげか中心地に向かう電車はいつも混んでいたが、私が住んでいたところまで行くと流石に自家用車で移動する人も多かった。地下鉄の駅からバスでまた20分かもう少し。そこまで離れてしまうと乗客は自ずと私のような学生か、自家用車を持っていないような人に限られてくる。
ある夜のことだった。日はとっくに落ちた午後11時過ぎ、私はバスに乗っていた。私のほかに乗客は数人しかおらず、車内は静まりかえっていた。窓の外は既に夜の帷が下りていて、外を歩く人影どころか車も殆ど見当たらず、街灯だけが寂しく光っていた。
そのバス路線は地下鉄の駅からひたすら一直線に北上するもので、私は窓の外の一本道をただ眺めていた。
ふと、バスが停車する。誰かが降りる気配はなかった。プシューという音を立ててドアが開く。客を乗せるようだ。
しかしこんな夜更けに、駅からならまだしも途中のバス停から乗車するというのは不審に思えた。私以下数人の乗客の間に緊張感が走る。
もちろん、不審とは言ったがその様な乗客が全くいないわけではない。バスからバスへの乗り継ぎという可能性もあるのだ。私はそう自分に言い聞かせる様に、努めて冷静でいられるようにした。
しかし残念ながら私のその努力も虚しく、乗ってきたのは明らかに不審な初老の男性だった。「不審」というのは、ただその時間に乗ってきたというだけではなかった。
彼は右の肩にーさながらサンタクロースの様に大きな袋を抱えていたのだ。
車内に張り詰めていた緊張感が一段階強くなった気がした。
おそらく私以外の乗客も同じ事を思っていただろう。「運転手よ、断ってくれ」と。
しかしそんな願いは届くことはなく、男性はいそいそと乗り込んできた。
先ほどと同じような音がしてドアが閉まる。バスはゆっくりと走り出した。
固い椅子が揺れる。アスファルトとタイヤの摩擦音の上に、録音されたアナウンスが響く。誰も口を開かないまま、バスはまた一本道を走りはじめた。
「不審な人を見る」というのは危険な行為である。それは分かっていた。しかし、私は目を向けてしまった。気になる音がしていたのだ。彼を見るのは怖かった。しかし、その音の正体を確認しない方がもっと怖いと思った。
「カチャ」「カチャ」と、金属と金属がぶつかる様な音が、彼の背中の袋から聞こえていたのだ。化学繊維で作られているであろう袋はおそらく使い古されたものなのだろう、何箇所も小さい穴があった。
その穴からは、鋸の刃の様なものが覗いていた。
咄嗟に目を逸らした。心拍数が上がるのを感じた。他の乗客は気づいているのだろうか。
次のバス停はもうすぐだが、降りたところで夜の郊外はどちらにせよ危険なのである。
私は観念した。ただ、何事もなく家に帰れる事を祈るしか私には残されていなかった。
バスが止まる。信号だ。張り詰めた車内はさらに静まり返った。ふと、男が立ち上がった。私は顔が強張るのを感じた。
男はそのまま運転席へと向かって何かを言い始めた。距離が遠くて内容までは聞き取れないが、どうやら揉めているらしいという事はわかった。
私は恐怖と、他のよく分からない感情がいっしょくたになっていた。ここで降りてくれればいいが、逆上されでもしたら大変な事だ、と。
信号が変わって、バスが走り出してからも問答は続いていた。運転手は明らかにイラついており、心なしかバスの揺れが増している気がした。
「座ってください」と繰り返す運転手に対し、男も食い下がる。何を揉めているのかすら分からない私にとっては、ただただ不安な時間であった。
また、バスが止まった。今度はドアが開いた。
するとすぐに運転手は先ほどとは比べ物にならない剣幕で男に捲し立てた。
「降りろ。今すぐここで降りろ」
男は運転手の豹変ぶりに驚いたようだったが、まだ何かを言おうとしていた。
しかし運転手はそれを遮るようにさらに大きな声で続ける。男はついに諦めたようで何かをぶつぶつと言いながら悔しそうにバスを降りた。
道に降り立ってもまだ何か言っている男に運転手はこう叫んでドアを閉めた。
"Good bye, Adios, SAYONARA!!!"
バスは走り出した。夜の道を、先ほどよりも軽快に。
私は恐怖から解放された安堵と、運転手が言い放った言葉の可笑しさに1人笑いを堪えていた。
まさに緊張と緩和であった。
それにしても「SAYONARA」とは。英語、スペイン語に続いてまさか我が母国語が出てくるとは。私は感動なのかなんなのか分からないままただただ面白くなってしまった。
3番目に出てくる言葉が、「SAYONARA」なのか。誇らしくも、恥ずかしくもあった。
咄嗟に聞こえてきた日本語に私は懐かしさを覚えながら、そのアクセントがまるでメジャーリーグの実況を聞いているようで、また可笑しくなった。
目的のバス停について、私はバスを降りた。運転手に「大変だったね」という顔をしてみせると、相手も「そうだね」という様な顔を返してくれた気がした。
サヨナラ、と心の中で呟いて歩道に降りた。
それにしても、意外と語呂も良いし、使い勝手は悪くなさそうだ。何か文句を言われたら私もいつか"Good Bye, Adios, SAYONARA"と言ってみよう。いやむしろ、今生の別の挨拶としても悪くないかもしれない。
なぜ運転手は咄嗟に日本語を混ぜてきたのだろう。それはもう分からない。あちらこちらに見られるフランス語よりも先に、極東の言語が出てくるとは、なんとも不思議である。
咄嗟に出る言葉が何語かなんて、大したことではないかもしれない。「えっ、まずっ!」と呟いたAさんも無意識だろう。
だからこそ面白い。突然聞こえる日本語に耳を澄まして生きていこう。