二宮サンド

いつもギリギリの時間に起きているから、駅を降りたら小走りくらいの速度になる。毎日、いろんな店の前を通っては一瞥する暇もなく先へ進む。少しは余裕を持ちたいと思った。少なくとも、気になった店にふと寄れるくらいの時間を。

そう思って早めに家を出た。いつもの街の喧騒も、不思議と心地いい。天気も悪くない。晩秋の空は高く、見上げた瑠璃色のキャンバスに引かれた薄い雲の線が美しかった。
いつもの駅を降りても、まだ時間がある。ふらふらと歩いては降り注ぐ日差しを全身に浴びて自由を実感する。

しばらく歩いて、気づく。思っていたよりもすることがない。もとい、できることが少ない。どうせ終わりの時間が決まってるので、長くかかることはできない。
店にはいっても長居せずにそそくさと外に出てしまってはあまり見るものはない。結局、思っていたような余裕なんて持てなかった。
目ぼしい場所をひと回りして、観念する。余裕なんてハナからなかったんだ。雑踏に背中を押され、慌てている。

最後に本屋に寄る。ここ最近はあまり読書をしていない。積まれているだけの書籍がこちらを見ている。
その視線に気づかないフリをして、気になっていた本を2冊、レジに持っていく。新刊は決して安くはない。が、むしろ支払った金額の元をとろうと多少ムリにでもページをめくることができる。
金がかからないと本も読めない自分の弱さを憎みながら、同時にまだ誰にも読まれていないまっさらな表紙を見てニヤつく。

しばらく働いてから家路に着く頃には辺りはとっくに暮れていて、寒さが増していた。電車の中で読み始めて、続きが気になって、人差し指を栞代わりにしながら改札を出る。東京の夜は明るく、幸いにも文字を読むことができる。

歩きながらページを捲る。ビル風が邪魔だ。
歩きスマホは咎められるのに、歩きながら本を読む二宮金次郎は銅像にされるほど評価されている。
薪の代わりにリュックを背負って、山の代わりにビルの間を歩く。彼は街灯もない道でどうやって本を読んでいたんだろう。夜は外に出ていなかったのか。きっとそうだ。

余計な事ばかり考えていて、ページが進まない。夕食をまだ摂っていないせいで腹が減っているせいもあるだろう。
おにぎりか、サンドイッチか、軽く食べたいと思った。ただ、残念ながら今はダイエット中。コンビニの灯りが網膜を刺激する。きっと瞳孔は開いているが、見えないフリをして進む。

そういえば、二宮氏は歩きながら何かを食べていたのだろうか。片手で食べられるもの、と言えばサンドイッチだ。でも、おにぎりだって問題ない。
それなら、たとえばサンドイッチ伯爵がパン派じゃなくてごはん派だったら今頃おにぎりはサンドイッチと呼ばれていたのかもしれない。そんなわけないか。
むしろ、「本を読みながら片手で食べれるご飯のかたまりを発明した二宮氏から、それは「ニノミヤ」と呼ばれるようになった」とかの方がありそう。

いや、ないな。「ツナマヨニノミヤ」とか変だしな。

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