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けれどもほんとうのさいわいは一体なんだろう。

100円均一で買ったイヤホンで音楽を聞いていた。それで何も問題なかった。友人に「なんかライブに行ってるみたいだね」と言われても、別に気にならなかった。中学生の自分には、そんなことを考える時間などなく、ただ目の前にある歌と向き合うしか術がなかったのだ。

iPod touchに入っている車のゲームをやるだけで楽しかった。本体を傾けて画面の中の車を操縦するという操作方法に感動していた。画質もゲーム性も全く気にならなかった。ただ手のひらの中の端末ひとつでこんなにもたくさんのことができるのかと驚くしかなかった。

お茶の水で買った安物のエフェクターを踏む時が好きだった。アンプのセッティングも、他の楽器との兼ね合いも、考えるより先にただ「踏んで音が変わる」その一点だけで十分だった。

映画やドラマを見るたびに、すぐに影響されていた。監督の名前も知らず、ストーリーについて深く考えることもなく、ただ目の前で起きたことを純粋に受け止めていた。ホラーを見れば驚き、アクションを見れば心拍数が上がり、裁判のシーンを見れば翌日から気分は弁護士だった。

ヴィレッジヴァンガードに行くことが楽しみだった。週に一度だけの休日に自転車を漕いで、地下にある店舗に潜り込んだ。目に入るもの全てが面白かった。知らない言葉や知らないものが所狭しと並べられている店内にいるだけで幸せだった。

ほんとうならば、ずっとそのままでいたかった。それでよかった。しかし悲しいかな人間は欲深く、一つを知ればその先を知りたくなってしまう。世界が広くなればなるほど比較する対象は増えていく。

世界で一番幸せだと謳われた国がある。ブータンである。国民は皆自分たちの生活に満足しており、幸せを感じていたそうだ。
しかし観光産業に力を入れ国際社会へと接するうちに彼らは自分たちの生活を先進国と比べるようになってしまったという。
知らなければ幸せだったものを、外界に触れてしまったばかりに。

今はもう100円のイヤホンを使うことができない僕は、果たして中学生の自分と比べて幸せなのか。当時よりもさらに「なんでもできる」ようになった スマホを持っているのにそれを当たり前と思っている僕は幸せか。
エフェクターをいくつも並べ、あーでもないこうでもないとこねくり回す。映画を見れば監督の名前を気にし、周りの目を気にした感想を捻り出す。
あれだけ必ず行っていたヴィレヴァンを素通りするようになって、ドンキで必要なものだけを買い漁る。

何が幸せかなど、年齢によっても周りの環境によっても変わっていく。

けれどもほんとうのさいわいは一体なんだろう。

それを考えていけるような、さういう人に私はなりたい。

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