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「たとえ」のたとえ。

たとえ話は難しい。たとえば、こんな風に。

「クイズノック」が好きだ。なかなか最近はもうYouTuberを見たりはしないが、彼らのチャンネルはちょくちょく見ていたりする。
ものすごく簡単に説明すると、クイズをやるチャンネルだ。高校生クイズや東大王で華々しい戦績を持っている伊沢さんが運営するそのチャンネルは、彼を中心として何人ものクイズプレイヤーが参戦している。

「クイズ」というのは面白くて、なかなかマニアックな問題が多い。普通に生きていたら知らないであろう事がさも当然のように出題される。それを問題文の途中で答えてしまう彼らを見るのはもっと面白い。
加えて、彼らは様々なアレンジを加えたクイズを出題し、また答えている。いわゆる「早押しクイズ」にとどまらず、色々なバリエーションのあるクイズを、しかし彼らは軽快に解いていく。

そんなクイズノックで得た知識が、仇になってしまう出来事があった。
先輩からのアドバイスをいただいていた時のことだった。彼はある状況を弦楽四重奏にたとえてこう言った。
「ほら、弦楽四重奏ってバイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバスじゃない?」
僕は迷った。違うのだ。クイズノックでこの間見た限りでは、弦楽四重奏は「バイオリン2本、ビオラ、チェロ」が最も一般的である。
しかし、その間違いを指摘してどうなるだろう。そんな事をしても、誰も幸せにはならない。言った方も言われた方も、変な感じになる。
正しいことを伝えることが正しいとは限らない。

僕はただ、口を噤んだ。わざわざ言うことでもないし、その話の主題はそこではないのだ。
しかし、一度気になってしまったからにはもうどうしようもない。僕はただ、頭の片隅にずっとそのことが引っかかったまま、何も言わず、何も言えずに淡々とアドバイスを聞いていた。

知らなければ良かった事は、きっと沢山ある。わざわざ解説したくなってしまうものは教養とは呼べないのかもしれない。
何かを言わないという事は、何かを言うという事よりも時に難しい。

ただ一つ、分かったことがある。
たとえを用いるときは、正確にたとえなければならない。たとえば、

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