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絞って絞って絞りきれ

創作活動というのは不思議で、上手くいかない時の方が上手くいったりする。
言わなくていい事を口走った時とか、伝わり切らない思いが頭の中を渦巻いて、永遠に抜け出せない迷宮に入ったような気分になっている時とか。

どうにか光明を見つけ出そうとして、ああでもないこうでもないと一筋の光が巨大な迷宮の出口を教えてくれるであろうと信じて、ひたすら書いたり歌ったり弾いたりする。

いわばただのストレス発散なのだ。
多分、ストレスの発散方法は大きく分けて2種類ある。消費か、生産か、だ。
何かを消費する事で解消されるストレスも多分にある。なんかイライラしてたけど映画を観たら落ち着いたとか、埋まりきらない心の穴に炭水化物を詰め込んで誤魔化したりとか。

対して、生産する事でしか解消されないストレスも確かに存在するのだ。文章化、或いは言語化する事で自分の中に落とし込む作業は、上手くいかない事を上手くいかないままに飲み込む時に必要になる。

幸か不幸か、そういった作業をここで行なったり、楽器を弾く事でそうしたりということができてしまうばかりに日々そうやっている。
しかし、物事は得てして逆転するものである。

いつの間にか、「何かを作らなければならない」という事自体がストレスになっていて、そのストレスを創作にぶつけている。
マイナスのエネルギーがあるからそれに対するプラスが生まれるとすれば、僕は日々マイナスを作る事に忙しくなっている。
これではただのマッチポンプである。

それが悪いとは言わない。
締め切りがない状態での創作活動は永久に終わりがないし、完成することがない。
そういった意味で自分でマイナスを作り出すことは、「創作活動がしたい」という欲求がある自分にとっては少なくとも必要であるという事だ。

ただ、疑問もあるのだ。〇〇日までに書かなきゃいけないもの、なんて本当に意味のあるものなのか?
ただ単語を埋めているだけで、創作活動と呼べるのか?と自問自答している。

つまり、自然に出てきたものと、無理矢理出したもの。天然と養殖の違いのように、どこか微妙なところで違ってはいないかと訝しんでいるのだ。
加えて、なんだかその違いこそが創作活動における「ミソ」な気がして、認めきれないのだ。

だから、絞るしかない。脳を絞って絞って、最後の一滴まで絞り出して、世に出したい。
ストレスなんて無い方がいいに決まってるのに、勝手に追い込まれて勝手に沈んでいく。
その中でまたどうにか道筋を探そうとする。そうするよ。

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