どうしようもないことばかりなのだけれど
毎日どうしようもないことが起きてアワアワしながら乗り越えている。(つもり)
ある程度のところで妥協しなきゃいけないのは分かっているから、自ずと選別作業が必要になってくる。
「これはとりあえずこのくらいで」「ここは譲れないかな」とそれぞれやっていくのだが、これが意外とエネルギーを使う作業で、こんなことならハナから妥協なんかしなければ良いのではと思ったりもする。
しかしどう考えてもそれは無理な話だと思うし、つまり鍛えるべきは振り分け能力なのだが、それもなかなかどうして難しいものだ。
「キャパい」という言葉が生まれるように、キャパオーバーになる時はどうしてもやってきてしまう。
短期的な「やること」と中長期的な「やること」と、それに加えて「やっておいた方がいいこと」が沢山山積みになっている。
大抵は「やっておいた方がいいこと」をめちゃくちゃ後回しにして、(部屋の掃除とか)めちゃくちゃ元気な時にまとめてやることになる。
しかし厄介なことに、年々その「めちゃくちゃ元気な時」が少なくなってきて、「今日は全力で飲むぞー!」みたいなのもなかなかできなくなっている。
かといって省エネで生活していても、いざ何かを生み出したくなった時にインプット不足ですっからかんになってしまって、結局机の前に座るだけの時間が過ぎてしまう。
これは前提として聞いてもらいたいのだが、アウトプットには痛みを伴う。自己の内面へと深く潜らなくてはいけないその作業は辛く、できればやりたくない。
やりたくないのだが、どうしてもやらなくてはならない気がしてしまって、今日もこうやって筆を取っている。
しかし、痛みを伴うのはアウトプットに限った話ではない。インプットにもまた、苦しい時が訪れる。
本を読んだり、映画を観たり、音楽を聴いたり、その中でも感情が動かされて-時に嫌な記憶に苛まれて-痛みを感じている。
その苦しみから逃れるように、なんでもない短い動画を見たり、140文字の中で完結する呟きをみたりして、インプットを済ませた気になっている。
今日はもう少し本を読んで寝よう。今日はもう少し考え事をして寝よう。どうしようもないことばかりの毎日の中で、立ち止まってあえて痛みに飛び込めるように、優先順位を決められる人になろう。