第十一章 順徳院の独白
佐渡の春は、雪割草、オダマキソウと可憐な花が咲き、雪が降ることもあるが、桜が咲いて始まる。
京都にいたときは、花の名所といわれる嵐山、賀茂川堤などを知らず、御所の中だけで暮らしてきたが、ここでは、自由に歩きまわれるのがいい。
厳しかった冬が終わり、雪も跡を消した日、真野湾に沈む夕陽は素晴らしいと聞いて、供を連れてでかけた。住んでいる真野宮から、高台に登ると、海は遠く見える。冬の間、眺めていた海に、歩いていくのだと思うと、嬉しかった。
ここに住むものは、真野湾などと言わず、浜とだけいう。わたしが行くのを知ってか、誰の姿もなかった。波打ち際を浜千鳥が、行き来している。
わたつ海の 波の花をば染めかねて 八十島遠く 雲ぞしぐるる『後鳥羽院御集』
(時雨は波がしらの白を染めようとして、降り注ぐが、それは虚しいこと。数多くの島々は雲に時雨を降らせている。)
父宮が隠岐で詠んだこの歌が、聞こえてくるような気がした。京都では、浜に出て、夕陽を見ることはない。わたしは、当たり前のことを知らずに、ずっと過ごしてきた。ここに配流されなければ、何も知らずに、天皇として、かしずかれて、生きていたと思う。
わたしは、京都からはるかに離れた佐渡に流された。まわりには、京都のように優れた知識を持つものがいない。今、京都に残した子どもたちのために、宮中の有職故実をまとめているが、不確かなことは、まとめて、京都に送り、いちいち確かめながら進めている。
歌は定家と隠岐におられる父宮に送り、添削してもらう。こちらも頼もしいかぎりだ。
不自由な暮らしと思っていたが、芸能については、違っていた。ここに生まれ育った、身分はいやしいが、音曲の才あるものが数多くいる。真面目に稽古もするし、勘がいいから上達も早い。暇に飽かせて指導していたら、いまでは、宮中と変わらぬ音を出せるようになった。もちろん、楽器は京都から取り寄せているが、笛はこちらでも作る人がいる。
女院から、遣わされた女たちが村人を集め、機織も教える。蚕を育て、繭から糸を取り、草木で糸を染め、一枚の布に仕上げる。根気のいる一連の作業を女たちは楽しみにしていて、教わりたいという弟子たちが大勢やってくるという。できあがった布は女官たちが手分けして縫い、立派な装束となる。選ばれたものたちが、普通では着ることない装束をつけ、雅楽を舞う。
典雅な舞を見ていると、女官や従者で涙ぐむものがある。みな宮中のある日を思い出しているのだ。佐渡の人びとが、音楽のすぐれた才能があるのはなによりも有り難い。
琵琶を教えた勾当は、筋が良いのか、覚えが早い。目が不自由な分、わたしに対する怖れもなく、素直に質問してくる。難局といわれる石上流泉なども、すらすらと弾く。このまま、佐渡に眠らせておくのは惜しいと、京都に修行に出してやることにした。
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