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アパートメント紀行(14)

リスボン #7


 雨の音で目が覚める。カーテンも閉めずに眠っていたので、早朝のしとしと雨が、点々と窓ガラスに描く模様が目に入った。疲れた身体には曇り空がやさしく感じられ、シャワージェルをたっぷり入れて浴槽に湯を張る。
 ゆっくりと朝風呂に入り、ふわふわのバスローブに包まれてベッドで果物を食べ、テレビを観る。昨夜から降り続いていたらしい雨は、だんだんと小降りになってきて、西の空がかすかに明るかったので、出かけようという気になった。

 旅先で、その街の動物園に行くのが好きだ。世界共通の動物の顔を見ると安心するのだろうか。調べてみると、リスボンの動物園は山手の方にあった。地下鉄に乗ると四つ目の駅。小雨の降る中、折り畳み傘を差して、気軽に身軽に出かけてみる。

 坂の街リスボンの動物園は、やっぱり坂道だらけの動物園で、ライオンやトラを見ながら坂を上り、キリンやゾウを見ながら坂を下る。雨の日の動物園は人類が少なくて、サルやゴリラの数の方が多かった。のびのびと遊ぶサルたちの様子を飽きずに眺めていると、自分もサルの仲間になったような気分になってくる。

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 小雨に濡れてつやつやのアシカやカバ、楽しそうに走り回るペンギン、しっとりと落ち着いた緑の草原に、ハッとするほどうつくしいサーモンピンクのフラミンゴ。雨の日の動物園は心が落ち着く。ほとんど人と行き交わない動物園で、のんびりと午前を過ごし、地下鉄で三つ目の駅で降り、デパートに直行する。
 
 地下の食品売り場で、生ハムとチーズとパンとワインを買い、ホテルに戻る途中にあるエドゥアルド七世公園の中にある熱帯植物園に寄り道する。ムッとする熱気の温室の中には、トロピカルな花々に混じってアジサイの花が満開で、そういえば日本は今梅雨なんだろうなあと思い出す。温室の中で、久しぶりの湿気を堪能する。

 エドゥアルド七世公園が、やけにしんとしているのは、雨のせいではなかった。いつの間にか、ブックフェスティバルが終わっていた。あんなに賑わっていた遊歩道は、空になった小屋が取り壊されるのを待つのみという風情で並んでいて、カッパを着た作業員が幾人か、黙々とゴミを拾い集めている。祭りの後のがらんどうのような公園はとても寂しく、滞在中にブックフェスティバルが開催されていたことは本当に幸運だった。

 ホテルに戻り、ベッドの上に、買ってきた食料品を広げる。生ハムの美味しさに仰天しながら、だらだらと横たわりワインを飲む。縦になっても横になっても身体がはみ出さない巨大なベッドの上で、チーズの匂いに包まれながら、幸せな午睡へ。

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 雨上がりの夕陽が、部屋の窓からオレンジ色の光を運んできて目が覚める。寝る前に飲み残したワインをまた飲みながら、もうすっかり見慣れたリスボンの夕景を、飽きることなくゆっくり眺め、数日前から冷蔵庫に入れっ放しだったタコのマリネやオリーブを取り出し、またベッドの上で一人宴会を始める。夕暮れ時なのに全然寂しさを感じなくて、このままずっと一人で生きてゆけるような気さえしていた。

 リスボン滞在最後の日、空はどこまでも澄み渡っていた。一番行きたかったけれど一番行きづらかった高台にあるサン・ジョルジェ城へ、思い切ってタクシーで乗りつけることにする。公共機関で直行出来ない場所へ行くのは、すっかり弱った膝がノーというので、ずるずると先延ばしにしていたのだ。

 タクシーは、急勾配の坂道や、ヘアピンカーブをゆっくり登り、休み休み歩いている観光客をよけながら走る。狭い道路を車で通り抜けるのは気が引けて、観光客で込み合う行き止まりの狭い路地でタクシーを降りた時には、なんだかズルをした感が満々で後ろめたくなって、そそくさと人混みに紛れて何食わぬ顔をした。

 お城へ入る入場券を買う列に並び、結構高い入場券を買って中へ入ると、古い城壁の向こうにリスボンの街が一望出来た。思わず真っ直ぐ望遠鏡のところへ向かう。一ユーロ入れてレンズを覗くと、森ではなく木が見えて、全体ではなく個が見えた。

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 リスボンの街並みは、オレンジと白のグラデーションだけで構成されているけれど、望遠鏡で覗くと、建物の中にカラフルな生活の色が見える。でも人様の家を覗いてはいけないとレンズの向きを変え、テージョ川に架かる四月二十五日橋や、ぎりぎり右端に見えるエドゥアルド七世公園などを眺める。でも正直なところ、後ろめたさを背負いながら覗く近所の家の様子の方が面白く、近くの家のテラスの植木鉢の模様は大変興味深かった。

 カタンという音と共に、一ユーロの覗きの時間は終わる。それから、フェニキア人や古代ローマ人やムーア人が次々と支配していたという高台の要塞の城壁の中へ入って行く。静かな広場の先に、城壁の上へ登れる階段があって、観光客の誰もが真っ直ぐに階段を目指していくところ、私は手前で立ち止まり、誰もいない広場で想像力を働かせる。頭の中で、うんと時間を遡ると、高い城壁に囲まれた涼しい木陰に、古代や中世の時代の人々が座っているのが見えた。

 城とはいっても、遺跡のような城壁と十個の塔しか残っていないが、歴史の悠久さを感じるには充分過ぎるほどだった。今は展望台として機能している城壁の上に柵はなく、城壁の上へ行くための急な石段を上るだけで背筋がヒヤッとする。
 城壁の上は、人が一人すれ違えるくらいの幅があるところとないところが混在していて、一歩踏み間違えると落ちてしまう。城壁の上を歩きながら、落ちないように注意するのと、そこから見える景色に感嘆するのとで忙しかった。日陰と安心を求めて塔の内部で休憩しながら、リスボンの街の見納めは三百六十度のパノラマ。

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 端っこが崩れ落ちかけている石の階段を用心しながら下り、広場に戻ると、猫が数匹昼寝している。迷路のような城壁の内部のアーチを適当にくぐり抜けて別の広場へ出ると、占いをやっているロマのおばあさんや、ギターを弾きながらファドを歌っているおじさんや、石のベンチで本を読んでいる若者たちがいた。

 少し下ったところに売店があって、パスタやサンドイッチやサラダをテイクアウト出来たので、サーモンのパスタをお盆に乗せ、外のテーブルで食べていると、観光客が立ち止まってこちらを向いて写真を撮り始めた。なんだなんだ何事かと思っていたら、緑色の孔雀が、私の右横で見事に羽を広げていて、私はびっくりして動くことが出来ず、観光客の撮る孔雀の写真の背景に、仕方なく大人しく納まった。一つ離れたテーブルで、私の様子をじっと見ながら小さな女の子が笑いをかみ殺しているのが見えたけれど、数分後、気まぐれな孔雀は女の子のいる方へ移動し、女の子は叫び声を上げながら逃げ出した。今度は私が笑いをかみ殺す番だった。

 遠足の小学生たちとすれ違いながらお城を出ると、洗濯物がはためくリスボンの下町、アルファマ地区に出る。イスラム文化の香りが残る迷路のよう街には、古い石畳の上に、崩れかけた石壁の家がぎゅうぎゅうに立ち並んでいて、赤や青や緑のペンキで塗られた玄関扉が、絶妙に街並みを引き締めているように思える。
 一階、二階、三階、四階、それぞれの部屋の窓の外に干されている洗濯物は、まるで現代アートのようだった。それに加えて祭りのために、街中に色とりどりのリボンや旗が掛けられていて、聖アントニオ教会はすぐそこ、祭りの中心地はこの地区なのだ。

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 狭い路地にも、小さな広場にも、テーブルとイスが用意され、あちこちで炭火の準備がなされている。今夜の前夜祭に備えて街は大忙しのようだった。私は狭い路地をくるくる回り、風にはためく洗濯物に触れそうになりながら街を下り、袋小路に迷い込み、小さな八百屋やバーやカフェの前で足を止め、廃墟のような広場に辿り着いてあれれと思ったりしている。
 
 長い長い石の階段を、ふうふういいながら下っていると、どこからかイワシを焼く匂いが漂ってくる。つんのめるほどの坂道のカーブを下りると、小さな食堂があり、店の外で、イワシが炭火で焼かれていた。坂道にある食堂のテーブルは、脚の長さが違っていて、テーブルの上のビールのグラスは、ちゃんと平行に立っていた。

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 路面電車の通る道に出ると、ちょうど坂道を下ってきた路面電車に轢かれそうになり、アジサイが満開のちょっとした広場に逃げ込むと、そこが、聖アントニオ教会だった。小さな入り口から覗いてみると、教会の中は、佇まいの静寂さからは想像出来ないほどの人で溢れかえっている。入ってすぐの右手のテーブルに、山のようにパンが積まれている。
 あ、これが、イワシを挟むパンだ。一つ欲しかったけれど、次々に入ってくる信者や観光客に押され、礼拝堂の中へ入ってしまう。仄暗い礼拝堂ではミサが執り行われていて、前方で光る金色の祭壇が神々しく、後方は人いきれでむせかえっていたけれど、堂内はとても静かで、神父の祈りの声ははっきりと聞こえた。

 リスボンの守護聖人である聖アントニオは、ここで生まれたという。縁結びの聖人でもあるらしい。明日の彼の誕生日は祝日、一年で一番結婚式が多い日らしい。私は信者たちの真似をして胸で十字を切り、俄か信者となって祈りを捧げる。

 教会を出て、左手を見上げると、教会の数軒先に、カテドラルがあった。小さな聖アントニオ教会とは対照的に、大きな高い塔を持つ大聖堂は、モスクの跡地に建てられたのだとガイドブックに書いてある。ロマネスク、ゴシック、バロックの、全ての様式が混じり合い、様式美と共に自由な雰囲気を具えている。ステンドグラスによって芸術と化す太陽の光が、大聖堂の壁や柱を彩っている。
 
 大聖堂の一角に、明らかに外光とは違う光で照らされている場所があり、近づいてみると、テレビ中継の準備をしているようだった。眩しいライトに照らされた舞台では、司会者らしき人がリハーサルを行っている。明日の聖アントニオ祭りの日は、ここで合同結婚式があるという。抽選で選ばれた市民が、無料で結婚式を挙げることが出来るそうだ。

 街全体に溢れる高揚感の中、アズレージョと呼ばれるこの国のうつくしいタイルで出来た街並みを歩き、私はホテルへと戻る。前夜祭のカーニバルは、リベルダーデ大通りで開催される。ホテルから徒歩三分。荷造りをして、お風呂へ入ってから、カーニバル見学へ出かける予定だった。

 リスボンでは服が増えたけれど、全部薄手の服だから問題はなかった。すっかり慣れてきた荷造りはすぐに終わり、リスボンでの最後のお風呂にゆっくりと浸かり、ああ、楽しかったなあとリスボン滞在を振り返っていたら、つい長湯になってしまい、バスルームを出てテレビをつけると、あ、カーニバルの中継が始まっているではないか!

 急いで髪を乾かし、服を着て、ホテルを出る。祭りの喧騒がかすかに聞こえ、八時半を過ぎてもまだ明るい街には思いのほか冷たい風が吹いていて、少し歩いたところで立ち止まって思案して、カーディガンを取りにホテルへ戻る。

 リベルダーデ大通りが始まるポンパル侯爵広場まで下ると、そこがカーニバルのスタート地点で、広場は仮装した人々で溢れかえっていた。
 おとぎの国から飛び出してきたような人々が、原色の赤やオレンジや緑や青の華やかな衣装を着て、出番を待っている。地区ごとにテーマを決めて、何ヶ月も前から歌を作り、踊りを振り付け、衣装や山車を用意するという。

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 うつくしい中世の衣装を身にまとった人々は、少し緊張した面持ちで、それでも誇らしげに、カメラを向けるとポーズを取ってくれる。着飾った人々が、出発のぎりぎりまで、振りつけの最終確認をしながらドキドキしている様子を見ると、なんだか胸が熱くなる。中には、山車や帽子を道路に置いて、バーで飲んでいる一団もいる。でもよく見ると、緊張するなあ、もうすぐだよ、というような感じの会話がなされているのがジェスチャーでわかる。一年に一度の晴れ舞台。この日のために何ヶ月も準備してきたのだ。いよいよ始まる。

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 リベルダーデ大通りには、何日も前から桟敷席が作られていて、特に有料ということもなく誰でも座れるようで、きっと数時間前から座っていたのであろう観光客や地元の人々が、酔っ払って陽気にはしゃいでいる。ビールの売り子が、桟敷席のあちらこちらからひっきりなしに声を掛けられて忙しそうだった。

 桟敷席を見上げ、私が一人でうろうろしていると、桟敷席の中ほどに座っていた恰幅のいい年配の夫婦が、こっちにおいでと隣の空いた席を指差しながら私に手招きをする。一見すると空いているように思えなかった席は、恰幅のいいご夫婦が三人分を二人で座っていたからで、親切なご夫婦は、ほら、詰めれば座れるわよ、あなたは私たちの半分しか場所を取らないからといって、見ず知らずの私を仲間に入れてくれた。
 
 そしてさらにそのドイツ人のご夫婦は、自分たちのお代りのビールを頼むついでに私にも一杯ご馳走してくれて、どこから来たの? 一人なの? と矢継ぎ早にドイツ語訛りの英語で私に聞いてくる。
 いい匂いのする奥さんは、私に質問しながらも、ちゃんと同時にカーニバルの流れを横目で確認していて、ほら、不思議の国のアリスに出てくるスペードの女王みたいなのが来たわよ、とか、あれは農民と大砲だわ、とか、まあ、あの山車に描かれているのはアントニオが赤ちゃんの時の肖像よ、などと教えてくれる。それらの台詞は、私の頭の中に浮かぶ台詞とほぼ同時に発せられるので、聞き取りづらいドイツ語なまりの英語でも理解することが出来た。
 陽気な奥さんが、私たちはポルトガル人じゃないから背景の歴史はわからないけれど、お祭りって楽しいわね、といった時も、私の頭の中で同じ感想が浮かんでいた。

 祭りというものは、世界共通、うきうきと気分が高揚する。私が座っていた桟敷席は、カーニバルのスタート地点のすぐそばで、この先数ヶ所に渡って踊りを披露する予定の彼らの最初の舞台だったから、演者たちの緊張感が見ている方にも伝わり、まるで親戚の初舞台を見ているような親近感が湧いてくる。
 踊りが終わった後は、観客もホッとして拍手喝采。きっとちょっと間違えてしまった人も、この先の舞台で数をこなすうちに緊張もほぐれ、練習通りの滑らかな踊りが出来るようになるのだろう。審査員席はだいぶ向こうの方らしい。

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 次から次にやってくるカーニバルの行列が、まるで一晩中続くかのように思われる。ずっと夢の世界に浸っていたかったけれど、気がつくともう真夜中過ぎ、私はちょっと疲れてきた。
 もう帰るの? イワシは食べた? 気をつけてね、といってくれるご夫婦がもう親戚のように思え、ビールをご馳走様でしたといい、まだまだお元気なご夫婦に別れを告げ、最高潮に盛り上がっている人々の間を抜け、ホテルへと戻った。
 
 しんとしたロビーの傍らのコンシェルジュの椅子に、顔馴染みのドアマンが座っていて、笑顔でお帰りといいながら、机の上のパソコンの画面を私に覗かせてくれる。夜勤の彼が見ていたのは、カーニバルの中継映像だった。
 明日の朝は何時に発つの? と聞く彼に、九時だと答えると、そうか、僕はもういないなあ、今夜でお別れだね、というので、いろいろと親切にしてもらえて嬉しかった、ありがとうございましたというと、リスボンは楽しかった? またリスボンへ戻っておいでね、という。

 エレベーターのボタンを押してくれる彼に、ボア・ノイテ、セニョール、アデオス! というと、紋切り型の私のポルトガル語に笑いながら、ボア・ノイテ、セニョリータ、アデオス! とウインクしてくれた。
 おやすみなさい、さようなら。エレベーターの扉が閉まり、私は一人になる。部屋へ戻ってテレビをつけると、カーニバルの中継はまだ続いている。画面を消すのが寂しかったけれど、睡魔には勝てなかった。
 
 リスボンは、本当に素敵な街だった。二週間の間にすっかりジャカランダの花は散ってしまったけれど、この花の香りと、人々に受けた親切は一生忘れないだろう。
 私は静かにポルトガルのガイドブックをゴミ箱に入れ、スペインのガイドブックをバッグに入れる。遠くから聞こえるような気がするカーニバルの音楽に聞き耳を立てながら、豊かな眠りに落ちていった。

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