アパートメント紀行(26)
エクス・アン・プロヴァンス #4
市庁舎前の広場に市が立っている。学校からの帰り道にみんなと別れる広場には、学校が休みの土曜日、大輪のヒマワリや熟れた果物、土のついた野菜、手作りのジャムやケーキなどが所狭しと並んでいる。
サングラスをかけた男たちが大きなパニエを持ち、女たちが買い物をする後ろで、手持ち無沙汰に荷物番をしている。花屋のマダムがヒマワリを指差して、トルネソルよといい、身体をぐるりと一回転してトルネ(回転する)、太陽を指差してソレイユね、納得でしょ、と、ヒマワリの名の由来を教えてくれる。その横を、ノースリーブのワンピースを着た女の子たちが、赤い風船を手に歓声を上げながら走り抜けて行く。
素敵な雑誌でプロヴァンス特集記事の写真をうっとり眺めているように、今、市場の光景に見惚れながら、私は冷たいレモネードを飲んでいる。今日は、学校のエクスカーションで、ラベンダー畑に行くツアーがあったのだけれど、私は参加せず、一人で市場でラベンダーの石鹸を買っている。
久しぶりに一人になった感じがするが、学校へ通い始めてからまだ一週間。正確にいうと五日間。私はこの五日間を振り返り、その密度の濃さに驚く。毎日英語とフランス語に悩まされながらも、毎日宝石を拾い集めているような、キラキラしたものが心の奥に大切に蓄積されてゆくような日々。
リーナとエマと私の三人に共通しているのは、両親のどちらかを最近看取り、残った親がまだ元気なうちに、自分のやりたいことをやっておこうと思い立ち、ここへやって来たということだった。リーナはこういった。
We are having with sense of less
(私たちは喪失感を抱えて生きているのよ)
この世の誰もが、喪失感を抱えながら生きていると思うけれど、目に見える形で喪失を経験する世代の私たちは、これまで生きてきた道と、これからまだ続くのであろう道の境目で、ふと思い立ち、ここへやって来て出会った。広大な世界の中の、こんな小さな街で、気の合う人たちと出会えた奇跡。
人生では、時に、勇気を出して一歩踏み出す必然の瞬間があり、その進路には、思いもよらぬ偶然の出会いがあったりするけれど、出会いがあるということは、別れも必ずやってくる。私たちは生きてゆく限り、何かを得ながら同時に何かを失い続ける。起こること全てに意味はあるのかも知れないけれど、でも今は、その意味を探すのはやめようと思う。いちいち意味を考えていたら、目の前にある大切な時間を台無しにしてしまう。
市場を駆け回る子供たちの嬌声に我に返ると、レモネードの氷はすっかり溶けている。プラタナスの葉っぱが一葉、はらりとカフェのテーブルに落ちてきた。
新鮮な野菜が売り切れないうちに買い物をしようと席を立ち、掘り立てのジャガイモやニンジンを買うと、売り子のお姉さんが、これ使う? と幾種類かのハーブが束になったものを差し出してくれる。有り難く受け取り、さらにニンニクも買い、チーズと蜂蜜も買う。
さて私は、これからマサコの家へ行く。マサコは語学学校のスタッフの一人で、本来ならマサコさんと呼ぶべきなのかも知れないが、アンヌやイザベルに「さん」を付けないように、マサコはみんなからマサコと呼ばれているので、日本人である私もつい最初から、マサコと呼び捨てにしてしまっている。
そんなマサコが、もう使っていない古い炊飯器を、時々日本人留学生に貸し出していると聞いたので、早速私も貸してもらうべく、これから訪ねて行くのだ。マサコの家までは徒歩五分ほど。
マサコと会うのは今日で三回目だけれど、学校の事務所で初めて顔を合わせた日から、私はマサコに対してすっかり安心と信頼を寄せていて、なんだかずっと一緒に仕事をしてきた仲間のようにも思えている。事務所の中で一番若く、一番落ち着いていて、誰も彼もがマサコに相談事を持ちかけているのを目撃していた。
マサコの家まで、書いてもらった地図を頼りに歩いてゆく。目印は、テルメ・セクスティウス。ローマ人が作ったというその温泉施設は、ホテルも併設されていて、今もその遺跡の上にスパがあるそうだ。
すぐに見えてきたテルメ・セクスティウスをぐるりと回り、タイマッサージ店のある通りへ出て、小さな路地へ入る。地図で見るとこの辺りなのだけれど、表札が出ているわけではないのでわからなくなる。
聞いていた番号へ電話をかけると、もしもーし、という元気な声が電話口から聞こえ、そのあとに頭上から、ここだよーっとマサコの声がする。見上げると、三階建ての古いアパートの一番上の窓から、電話を持って手を振るマサコの笑顔が見えた。
ちょっと待っててえといいながらマサコは消え、ぱたんぱたんと階段を降りて来る音がする。マサコが、入り口のドアの鍵をガチャンと開けてくれる。
三世帯が住んでいるという三階建てのアパートの一階の奥に、小さな三つの倉庫があり、マサコはマサコ家の倉庫から大きな古い炊飯器を取り出して、ハイと私に渡し、ちゃんと炊けますよ、という。せっかくだからお茶でもという厚意に甘え、一緒に三階へ上がって行く。
マサコは、ヴァカンスクラス楽しそうだねえという。毎年夏になると、お気楽なマダムたちで賑わうヴァカンスクラスが名物のように出来るそうで、今年のクラスは本当に楽しそうだという評判らしい。
マサコは、妊娠五ヶ月。三つ歳下のフランス人のパトリックと暮らしている。まだ二十八歳だというのに、私などよりうんと人間的な深みがあるように感じられる。私と昭和の話で盛り上がれるから、本当は年を胡麻化しているんじゃないかと疑って、顔面をまじまじと眺めてみても、つるんとした皺一つない肌は、紛れもなく二十代の肌で、子供は四人欲しいというマサコには、逞しい生命力が漲っている。
特にお互いの自己紹介もないまま気持ち良く会話が進むので、時々、脚注を入れるように互いの人生をかいつまんで説明しながら、途切れることなく会話がどんどん続いてゆく。お互いに、日本語でテンポ良く話せることが快感で、自分でも気づかなかったストレスが解消してゆくのがわかる。
マサコが、夕食の支度を始めたので、私は何も考えずに手伝い始める。さっき市場で買ったジャガイモを差し出すと、食べてくでしょ、と当然のようにマサコがいうので、私はジャガイモの皮を剥きながら、ご馳走になりますという。どうやら話が尽きる気配が無い。
マサコは、パトリックとインドで出会ってビビビときて、それからずっと一緒にいるそうだ。この人は私にぴったりだとわかったからね、と話すマサコを、私は尊敬の眼差しで見つめる。
日本人がフランスで仕事をすることの大変さを聞きながら、でもどこも同じだよね、仕事するってことはさ、とあっけらかんと話すマサコに感服する。
私たちはずっと口を動かしながらちゃんと手も動かしていて、あっという間に数品のおかずが出来上がる。なんの打ち合わせもなくどちらも指示なんてしなかったのに、小さなキッチンでぶつかることなく上手に位置を入れ替えながら動いていた自分たちに感嘆し、自画自賛していたところにパトリックが帰って来る。
パトリックは、本当に、マサコにぴったりだった。快活で頭の回転がすこぶる速い好奇心の塊のようなマサコと、のっぽでのんびりとした温かい眼差しのパトリック。マサコの愉快さにパトリックのとぼけた感じが加わり、私はさらに居心地が良くなる。
マサコが日本語のまま会話を続けるから、パトリックに、日本語わかるの? と聞くと、少し、ちょっと、と肩をすくめる。マサコは、いいの、スパルタだから、といい、パトリックに日本語で、これあっちに持ってって、とグラスやお皿を渡す。あっち? どっち? こっち? と独り言をいいながら、パトリックは楽しそうにテーブルの準備をしている。
いい夫婦だねえというと、意外にもマサコは照れて、ほんとにそう思う? と聞く。うん、素敵なお似合いの夫婦だというと、ありがとうとはにかみ、じゃあ、特別なワインを開けるようといって、おどけて踊ってみせる。
まさか週末まで大笑い出来ると思わなかったから、その幸せを噛みしめながら二人に感謝する。楽しい夕餉のあと、大きな炊飯器を持って途中まで送ってくれたマサコが、いつまでも手を振ってくれるのを何度も振り返って見ながら、やさしい気持ちに満たされて家路に着く。
部屋へ戻ってシャワーを浴び、近いうちにテルメ・セクスティウスへ行こうと決意し、携帯電話をチェックすると、リーナとエマから明日の午後遊びに行くわというメールが入っている。時間をかけて英語のメールを返信し、私は今この瞬間に死んだなら、ああ、最高の人生だった! の一言で終わるだろうと思うくらい幸せだった。
日曜のエクスの街は静かだ。久しぶりにお昼までベッドで過ごし、軽い昼食を作って食べ、庭でピピさんと日向ぼっこをしていると、どこからか私の名を呼ぶリーナの声が聞こえる。
どこから呼んでいるのだろうと見回すと、リーナとエマが、庭から見ると二階の、アランの車が置いてある駐車場からこちらを覗いて手を振っているのが見えた。
そこへ行くにはどうしたらいいの? と聞かれ、あっちの玄関から入って、というと姿が消え、少しして、にやけ顔のアランが二人を連れて来てくれた。
エマが、今住んでいるアパートがどうしても気に入らないからと、毎日学校のスタッフに新しいアパートを見つけてくれと頼んでいるのを見て、私は隣りの部屋が空いていることを教えた。それで早速内覧がてら遊びに来てくれたのだ。
きれいな女性が二人も訪ねて来てくれたことが、アランには嬉しいニュースのようで、ワイン飲まない? とか、僕のアトリエを見る? とか、やけに親切極まりない。
みんなで隣りの部屋を見学し、涼しくておしゃれな部屋を気に入ったエマが、アランと家賃の交渉をしている間、リーナと私は私の部屋で待っている。
ここは涼しいわね、地下室だからかしらといいながら、リーナは彫刻を触ったり、クローゼットを開けてみたり、好奇心の赴くまま、ピピさんのようにうろうろして、やがて私のベッドに寝転んで、ねえ、映画観に行かない? という。まるで高校生の日曜日のようだ。
私は少し疲れていて、本当はベッドで休んでいたかったのだけれど、リーナは二週間しかエクスにいないから、一緒に過ごせる日曜日は今日だけだ。次の金曜日には旦那さんがスウェーデンからやって来て、一緒にヴァカンスへ行ってしまう。そんなの寂しい。私は立ち上がった。
三人で過ごす最初で最後の日曜日、私たちは街に繰り出し、デパートもカフェもブティックも休みで静かな街で、小さな映画館に入ってハリウッド映画を観た。
それから、観光客相手に賑わっているミラボー通りのレストランで夕食。いつまでも終わらないお喋りが楽しくて、私はまたフランス語より英語を習うべきだと切実に思っている。もっと伝えたいことがたくさんあるのに、もっと話したいことがあるのに、初心者レベルの英語では伝えきれない。
エクスでの楽しい夜、愉快な仲間たちとずっと笑顔で過ごしているこの時が、いずれかけがえのない宝物のような思い出になるのだと、私はふいに気づいて感動し、なんだかちょっと泣きそうになる。この時間を永遠にすることが出来るなら、どんなつらいことだってやってのけられるだろうと思っていた。