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読売新聞と銀座〜波乱万丈の時代を見てきた魂のふるさとを訪ねる〜

虎ノ門から銀座へ移転

   読売新聞は、1874年(明治7年)に子安峻氏によって虎ノ門で創刊しました。識字率が高くなかった当時、大衆に向けて読みやすいように漢字にふりがなを施し、平易な新聞として人気を呼びました。
3年後に銀座一丁目に移転、1923年(大正12年)8月に銀座二丁目(現:マロニエゲート銀座)に移転しました。移転から1ヶ月後の9月1日に関東大震災が発生しています。その際、本社屋は火災の被害に遭いました。

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読売新間は明治七年十一月虎ノ門で創刊し、同十年銀座一丁目に進出。
大正十二年八月この地に移った銀座は当時、新聞・通信社の中心地であった。
読売新聞の銀座における新聞発行は、昭和四十七年三月大手町に移るまで、九十五年間に及んだ。
その間、震災や空襲の被害を受けたが、たゆまぬ創意と燃える読売魂によって、あらゆる苦難を克服し、日本と世界の激しい変動を報道し続けた。
そして驚異的な大躍進を遂げ、やがて世界最大の新聞となった。
読売新聞にとって、銀座は永久に魂のふるさとである。
昭和五十九年四月吉日
読売新聞社 
-『読売新聞と銀座』記念碑から引用-

震災復興の最中、1924年(大正13年)に警視庁警務部長だった正力松太郎氏が社長に就任しました。新聞発行以外にも毎年正月の恒例行事となった箱根駅伝の前身に当たる「東海道駅伝徒歩競走」が開催や大日本東京野球倶楽部(現:読売巨人軍)の創設とスポーツに力を入れていました。
戦中、報知新聞社(スポーツ報知)の買収も経て、戦後の1953年(昭和28年)に日本初の民間テレビ局「日本テレビ放送網」の開局など事業の拡大をしていきました。
1972年(昭和47年)に大手町へ移転し、6年後には新聞発行部数が世界一になりました。現在では日本の朝刊発行部数の約20%を占めている巨大日刊紙に成長しています。

大手町へ移転後は

1984年(昭和54)年に、スーパーマーケットを運営するダイエーとフランスの百貨店と提携し、「プランタン銀座」がオープンしました。2016年(平成26年)12月に閉店し、翌年「マロニエゲート銀座」としてリニューアルオープンしました。現在は1階〜4階にかけて「UNIQLO TOKYO(ユニクロ トウキョウ)」が入居しています。

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アクセス

・東京メトロ銀座線/丸ノ内線/日比谷線 銀座駅C6出口、マロニエゲート銀座の裏側、無印良品銀座向かい

参考資料

・読売新聞「読売新聞歴史年表(明治~平成)」https://info.yomiuri.co.jp/group/history/nenpyou/index.html 最終閲覧日2021.5.30
・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%B3%E9%8A%80%E5%BA%A7 最終閲覧日2021.5.30

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