![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/157313960/rectangle_large_type_2_8096824934f22897dce655cfd88c230c.jpeg?width=1200)
個人に対する好き嫌いが殆ど存在しない【INTP】
私は人の好き嫌いが殆どないのですが、何故ないのかをINTP型の視点から考えてみた記事になります
私は自分の感情をいまいち把握できないのですが、人以外の物事や考え方に対する好き嫌いははっきりしており、自分がやりたいこともはっきりとわかっていますし実行しています
でも個人に対しての好き、嫌いは基本的に殆ど感じません
部分的な好嫌はあれども、この人を好き、嫌い、ということには繫がらない
なぜなのか考えてみました
①Ti優位Fe劣等によるもの
INTPは「感情を頭で理解する」とよく言われていますが、本当にそのとおりで、Tiで感情を分解して情報として扱い理解しよう試みます
↓
Fe劣等により理解できない上、Ne優位、Te不得意(ここは私特有かも)である結果、分解したデータを得意なNeで様々な可能性を探るが、Te苦手によりとりまとめがうまく行えず、とっ散らかったまま結論に導けない
↓
結果、好きも嫌いもないと結論づけられる
↓
「わからない」が正しい結論のはずだが、感情に圧倒されやすいため感情を扱うこと自体を避けたいという無意識による働きが起こる
さらに自身の感情にもうまくアクセスできない
結果取った選択肢は「好き嫌いの判断を行わず曖昧なまま放置」
嫌いと言う不快な感情から受ける負荷が減り好都合であるため、わずかなもやっと感を残しつつも意識下に置かれず放置され続ける
②選り好みが超絶激しい
人間性を疑われそうなので書くか迷ったのだが事実だし考察に必要なので記載する
INTPは付き合う人間をかなり選り好みしている
小学生の頃から自覚がありみんな仲良くとか不可能でしょと思っている
更に、人付き合いに使用するエネルギーが莫大すぎるため、本来なら適切な距離で付き合う必要がある場合でも放棄しがちだし、私に至ってはそのような絶妙な距離で付き合うスキルも持ち合わせていない
つまり元々人間関係を避けがちなので嫌いな人もできにくいのではないか
なお選り好みする理由は多数あるが根本的な要因は「圧倒されやすい神経質性」に起因していると考えている
要は自己防衛である
あと話しかけられること自体は結構嬉しかったりするし、巷で言われがちな塩対応をしているつもりは一切ない(ただ日常会話、雑談は刺激が得られず脳が活性化しないので結果…みたいなことにはなりがちで申し訳ない)
人間関係のスタンスは来るもの拒まず去る者追わず
③不快の全力回避
十代までは嫌いな人居た気がする
感情論をふっかけられる、ロジックの軽視、価値観の押し付けは非常にうんざりするし自身が尊重されていないと感じやすいため嫌認定へ繫がりやすい
それ以外に関してはわりと寛容な方だと思うし周囲の評価とも一致しているし、実際不快な感情も抱きにくい
これは今も昔も変わらない
(許容できるかは別問題だが必ずしも許容が必要だと思っていない。ただし許容できないものを実際排除するタイプとは相容れない)
上記のタイプに遭遇した場合、関係性の維持にエネルギーを投下することはせず、可能な場面では全力で逃走を試みるが、回避できない場面に直面することもあり、否が応でも経験値?を積むことになる
その結果、年齢を重ねるごとに回避性はより高まり、嫌いな人と関わる機会は激減していく
結果嫌いな人が(殆ど)いない状態になる
④他者への興味が希薄かつ人付き合いも消極的であるため
・脳内活動に殆どのリソースを奪われ続けているため、外部へ向けるエネルギーが残っておらず外界を意識することが難しい
・②でも触れたが神経質性、感受性が高く圧倒されやすく疲労しやすい
・元々人より物事へ興味関心が向けられがち
・自由時間とエネルギーは趣味に全振りしているしこれからもそうしたい
・人間嫌いではないが人間関係の構築を面倒に感じる
(外側から観察してMBTI的な考察を行うことはわりと楽しいが自分がその場に入りたいかと言うとNO)
要は人付き合いへの優先順位が低めに設定されている上②③も重なった結果好き嫌いが発生しづらくなっているのではないか
⑤好きになることはある?
もちろんある
相互尊重をベースに、理知的で優しく共感性が高い人に好感を抱きやすい
他にもいくつかポイントが存在していて、そこを刺激されると好きになるのだと思う
(Fe劣等で共感性を欠いているくせに人には求める矛盾性みたいなものを自分でも認めたくないのだが確実に求めている、ただし世間を基準とした排他的な共感性ではなく自身における共感性を求めている点がポイント。前者はそもそも共感ではないはずなのだが…)
人を好きになることがあまりない理由は、嫌いな人ができにくい理由と一部共通していて、人とのかかわりを避けがちであるためどちらの機会も訪れにくくなるという点がある
逆に異なる部分は、嫌になりやすいタイプはわりと多数存在しているけど逃走し被害?を最小限に留め結果少なくなることに対し、好きになるタイプは元々存在が希少で中々出会えない点と感じている
なお、素敵な人、魅力的な人
と感じることはある
noteでは感情のこめられた渾身の文章を読むと心が潤うのを感じるし、癒されるし、深い考察に出会えると尊敬するし感動する
そういう人のnoteを読むのが好きだし至福の時間となっている
ただ…
ここまで書いて思ったのだが、単純に好き嫌いの定義を厳格に考えすぎているだけなのかもしれない
「普通の人はそこまで考えて生きていない」と専門家に言われたことがここでも刺さってくると感じながらこの記事を終わります
今日の見出し画像は先日までとは別の場所で撮った曼珠沙華
白は赤より早く開花することが多いので、終盤で赤白混在に出会えるとは思ってもみませんでした
来年はピンクや黄色も撮りに行きたい
次は大本命のコスモスを撮りに行きます