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#72 日本の空は安心だ!
T・P・O Time (時)、Place(場所)、Occasion(場面)の略でそれぞれ、時間・場所・場面をわきまえた服装であったり、見合った行動をするといった意味でよく使われる。
御殿場口新五合目鳥居前を訪れる皆さんを観ていると、霊峰富士に挑む登山者、二子山から幕岩を巡る林間ハイキングを楽しむハイカー、物見遊山の観光客なのかは、一見してその出で立ちから推測できる。時には、ショートパンツにTシャツ、ペットボトルを片手に「山頂まで行きます」と宣う命知らずの豪の者もいるががこれはイレギュラーで判らない。
開山から10日余り過ぎ、今日から夏休みに入ったので親子連れの登山者も多く、午前10時を過ぎたいまも、鳥居前はワイワイガヤガヤ。そんな中、一人の青年に目が向いた。半袖のカッターシャツにグレーのズボン、足元は革靴と一般的なサラリーマンのような服装だ。背中のナップサックが奇妙に見える。この青年は何者だろうと声をかけた。 「こんにちは、観光ですか」 「いえいえ」 「ここは初めてですか?」 「はい、太郎坊に来たのですが、バス待ちの時間があったので歩いてきました」 「太郎坊ですか」 太郎坊からここまで約1Km。坂道を歩いて来れば30分以上かかる。「太郎坊になにか用事でも?」と質問すると「はい、慰霊碑を参拝しに来ました」と言う。
57年前の1966年3月5日(昭和41年)、BOAC航空ボーイング707型機が富士山上空で乱気流に巻き込まれで空中分解し太郎坊付近に墜落、乗客乗員乗客124名全員が死亡した航空事故だ。この犠牲者を慰霊するために御殿場市が太郎坊に慰霊碑を建立した。事故後50年の2016年には、御殿場市が主催して慰霊碑前で慰霊祭が執り行われた。
はてさて、この青年は何者なのだ? 「お仕事ですか?」 「いえ、お休みを頂いたので」「なぜ慰霊碑の参拝に?」 「仕事に関係しているので・・・」 「お仕事は?」 「航空業界です」 「JALとかANAとか」 「いえ」 「飛行機の整備ですか?」 「いえ、航空管制の仕事をしています」 「航空管制官ですか?」 「はい」 よろしかったらこの椅子に座って話を聞かせてくださいと言ったところに、10名以上の登山客がやってきた。「すみません。ちょっと仕事です」というと彼は、「また、お話できる機会があるでしょう」と席を立ち、バス停方向へ歩いて行った。登山客の差し出す環境保全金に、領収書と記念木札をお渡ししている間に、御殿場行きのバスがやってきて若者は車上の人となり、詳しいことを聞くことはできなかった。
日本一発着回数の多い羽田空港では、年間に212.9271回の発着が行われているという。1日当たり600回、1時間では25回の計算になる。夜間の発着制限を考慮すれば、実際の発着頻度は更に頻繁になる。航空機事故の大半は、発着の前後が最も多いと聞いたことがある。航空管制官は、航空機の安全な発着の最前線にいるのだ。管制官の指示は、パイロットにとってはまさに「神の声」なのだろう。
ごく普通の青年に見えた若い管制官が、休暇を利用して航空事故の慰霊碑を参拝したことに熱いものを感じた。彼は、「事故は起こさない。起こさせない」と慰霊碑に誓ったのだろう。
青空を背景に悠然と雄姿を見せている霊峰富士山。その遙か上空を一筋の飛行機雲が。
日本の空は安全だ。