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#49 登山駅伝

 御殿場口登山道のメインイベントは、なんといっても「富士登山駅伝競走」だ。ルーツは初代オリンピアン金栗四三翁が大正2年(1913年)に始めた「登山競争大会」まで遡る。年を経て昭和51年(1976年)に、御殿場市内に秩父宮邸があったことから「秩父宮記念第1回富士登山駅伝競走大会」として開催され、毎年8月第1週の日曜日に行われている。御殿場陸上競技場をスタート・ゴールとして、富士山頂浅間神社折り返しの11区間が設定されている。この駅伝の特徴は、標高差3250m、47,9Kmの過酷な条件と、11区間に設定されたコースを6人で襷をつなぐところにある。
各選手はそれぞれのコースを駆け登り、駆け下るのだ。1区は陸上競技場をスタートして青年の家まで、2区は馬返しまで、3区は太郎坊、4区は2合5勺、5区は7合5勺
6区は山頂まで駆け登り、浅間神社で襷に判をいただき襷を受取った7合5勺まで駆け下る、7区(5区の走者)は2合5勺まで、8区(4区の走者)は太郎坊、9区(3区の走者)は馬返し、10区(2区の走者)は青年のお家、最終11区(1区の走者)は陸上競技場ゴールまで襷を継ぐ。11区間の中で最も観衆が多いのは7区・8区の中継所付近だ。大砂走りと呼ばれ1歩で数メートルも駆け下る。30度の自然傾斜で加速され火山灰に足を取られ、転倒すると20m近く転げ落ちる。それでも選手は駆け下る。
 
第1回大会から第7回大会まで、一般クラブチームと大学チームが優勝を争っていたが、第8回~12回滝ケ原自衛隊が5連覇、13回・14回は大東文化大学が連覇したが、15回~29回は滝ケ原自衛隊と第1空挺団(習志野)の独壇場だ。また、上位を自衛隊のチームが独占するようになったので、30回大会(2005年)から「一般の部」「自衛隊の部」の2部制に変更された。フジテレビ系列で全国に録画中継されていた番組「雲海を走る 富士登山駅伝」も翌年から放映中止となり、いまだに復活していない。。自衛隊が強すぎて、スポンサーが付かないようだ。
 
そうだ、防衛省がスポンサーになれば・・・・?? ならない、ならないと周りの声。

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