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いじめは、本当にいじめた側だけに非があるのか。

今日は、「いじめ」について掘り下げていきたい。

正直、私は人を"いじめた"事もあるし、 "いじめられた"こともある。

そもそも、いじめとは、自分より弱い者に対して、一方的に身体的、心理的攻撃を継続的に加え、相手が深刻な苦痛を与えるものという意味である。

これらを念頭に置いて"いじめ"について考えていきたい。

まず、私がいじめに加担してしまった状況を説明したい。私の中学は、いわゆるカーストがあった。そのとき、私は上の下ぐらい位置にいた。そして、私がいじめてしまった(いじめられているのを見て見ぬふりした)子のカーストは、下の方だった。その子は、自己主張が激しく、目立つ事が好きなタイプの子だった。そのため、もちろんクラスでもめだっていた。そんな時、クラスのカーストトップの子の目に溜まったことを皮切りにいじめが始まった。何をしたかというと、靴の中に砂を入れたり、掃除の時、その子の机だけを運ばない。みたいな事もした。いじめられた子は黙って、ただ悲しそうな表情を浮かべていた。でも、そのとき、私は、ただ黙って見てるだけだった。でも。それは、いじめられてる側からしたら見ている側もいじめに加担しているのと同じと感じることを自身がいじめられてから知った。

確かに、これは、誰が見てもいじめだった。
私も、一緒になっていじめてしまった人の1人なのだ。一言でも話しかければよかった。と今になっても思う。

次は私がいじめられていた時の話をしたい。私が、中学に入学してから、急にモテ始めた。5人ぐらいの男子に一週間ぐらいおきに告白された。しかし、女子からは、どんどん嫌われていった。私に告白してくれる子は、カーストが上の方の子が多かった。その中にカーストトップの女子が好きな男の子「Y男」がいた。私に告白してくれて、私は振った。それで、カーストトップの女子「K子」にも嫌われた。Y男を振るなんて調子乗ってる。と言っていたらしい。今思えば付き合っても振っても修羅場だったと思う。これを境にいじめのターゲットとなった。ある事ない事言われた。体育の時にはボールを投げつけられた。先生に、チクられた事も何度もある。それで私は毎回怒られた。それでも、中学は、皆勤賞で卒業した。

どんなに酷いことをされたとしても、いじめられた原因を作ったのは私だ。私の行動がK子の逆鱗に触れたからだ。K子のプライドを踏み躙ったのだ。そう考えると、私にも非はあると考えられる。つまり、K子にいじめる原因を与えたのだ。そうなると、私にも原因があるといえる。私にも非はある。

よく、世の中は、いじめられる人は何も悪くないというが、そうではないと思う。つまり、虐められる側も問題があるのだ。

私はいじめられた側でもあるが、いじめた側が全部悪いとは言えない。

それでも、「正義の話」をするのならばいじめた側が全て悪い。になるのだろう。メディアは、視聴者に理解されやすい報道をしている。と思う。単純化しすぎているのだ。ケイスバイケースという言葉を用いられずにいじめを語るメディアに一石を投じたい。






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