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「特別な自分」と出会ったのは、狭くて広い日本という国だった。

特別になりたかった。

誰よりも、突き抜ける才能がほしかった。

たくさんの人に認められて、お金も充分に与えられて

「あなたじゃないとダメ」って、言われたかった。


何か特別なことを成し遂げたくて

特別じゃない自分に、別れを告げたくて

私は、旅に出た。


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……こんな話をすると「どこの国に行ったんですか?」なんて質問が飛んできそうだけれども

先に言っておく。私の旅の舞台は「日本」だ。


「日本なんて、狭いし魅力ないよ」という人もいると思う。確かに世界の国々に比べたら、とても狭い島国だ。

ただ、もしそう思う人がいたら一度だけ聞いてみたいことがある。それは「47都道府県、すべて行ったことがあるかどうか」という質問だ。

……実は私は、47都道府県にすべて行くという目標を、10年かけて達成した。にも関わらず、まだ行けてない魅力的な場所がたくさん残っていて、日本は本当に広いと感じているのだ。

そして「特別な自分」になりたいという悩みが解決したのも、実はこの日本を旅している最中だった。


海外に魅力的な場所がたくさんあることは、もちろん承知の上だ。だから海外に行きたいと思う人を、引き止めるつもりは全くない。

けれど、もし海外に行く目的が「特別な自分」を探す旅だったとしたら……選択肢に日本を入れるのも悪くないよと、私自身の経験を通して伝えたいのだ。

そのときのエピソードを、今回は話したいと思う。


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「特別な自分」になりたい。そう思ったのは私の過去の影響もある。

私には就きたい職業があって、それを目標に専門学校に進学した。けれども、その仕事はレアな専門職だったため、募集する企業もそこまで多くなかった。

だからこそ、倍率も厳しかった。そして私は、ことごとく誰にも見向きをされずに終わった。


仕方なく生活のために、別の仕事を探した。とはいっても、上京して就職に失敗した若者なんて、非正規雇用で働くか実家に帰るくらいしか選択肢がない。

私はなんとかアルバイトを経て、派遣社員の仕事に就くことができた。けれど給料は安く、自分の生活を支えるので精一杯だった。


そんな私に変化が訪れたきっかけは、とある彼と付き合い始めて1年くらい経ったころの事だった。

私たちは日ごろのストレス解消をしたくて、節約して貯めたわずかなお金と体力を資本に、ちょっとだけ無茶な遠距離旅行に出かけるようになった。

もちろん、新幹線や飛行機は高くて使えない(当時まだLCCはなかったのだ)。だから格安レンタカーを借り、深夜から高速に乗って翌朝現地に到着したり、旅先に到着するために丸1日電車に乗りっぱなしなんて当たり前だった。

大型連休を利用して四国や九州へ。あるときは2泊3日で大阪や東北へ。知らない土地に行くというワクワク感と、つまらない毎日を送る自分から逃避できるという安堵が、前に前にと私を進ませた。


旅というのは素晴らしい。なぜなら「いつもの自分」を脱ぎ捨て、「特別な自分」を感じることができるから。

旅行の最中も、この場所にいる自分がまるでエベレストの頂上にいるかのように誇らしく、セレブが集まる高級リゾート地に居るかのようにキラキラと輝いた自分を感じることができた。

けれど終わりは、憂鬱だった。「いつもの自分」が相も変わらず、いつもの家で、いつもの顔をしながら、待ち伏せていたからだ。

そして何度旅先を変えても、どんな遠くに行っても、「特別な自分」は帰路につくたび蜃気楼のように消えていくばかりだった。


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「特別な自分」を味わいたい一心で、旅が終わると次はどこに行こうかと目を配らせるのが習慣になっていた。

そんなとき、とある温泉郷のパンフレットが目に留まった。それは彼の地元の近くで、けっこう有名な温泉郷らしい。私は行ったことがないので、興味をもって彼にどんな場所なのか聞いてみることにした。

「いや、知らなかった。こんな場所があったんだね」

……え? 地元なのに、知らない?

ちょっとした違和感を感じながら、彼もその温泉郷に興味を持ったらしく、次はその温泉郷へ行くことに決定した。


後日。その温泉郷で、彼が知らない地元の魅力を再発見しているのを見ながら「本当に一回も来たことないの?」と聞いてみた。

「もしかしたら、小さい頃に親に連れられて来たかもれないけど……」

そう言って、学生時代は温泉に興味がなかった事、どうせなら県外に行きたかった事など、当時の心境を思い出してくれた。

彼が、この温泉郷を知らなかったのも頷けた。私も高校卒業してすぐ東京に進学してしまったこともあり、地元で行った場所なんて学校の近くか、親に連れて行ってもらった場所しか記憶にない。

……そういえば私の地元にも、観光名所として有名な橋や庭園がある。けれど、まだ実際にこの目で見たことはなかった。

つまり地元のことは、親に与えられた場所しか、私も知らなかったのだ。


なぜ私は故郷のことを、こんなにも知らないんだろう。いや、なぜ知ろうとしなかったのだろう。「故郷の良いところを教えて」と言われたら、なぜ自信を持って言うことができないのだろう……。

そういえば昔、海外に憧れてワーホリに行ったことがある友人にこんな話を聞かされたことがある。

『海外の人と話すと、自分の住んでいる国が大好きな人が多くて、良いところをたくさん教えてくれるんだよね。その流れで日本の良いところを聞かれたんけど、あんまり答えられないでいたら不思議がられたんだ』

『それで「日本は狭くて嫌だ。海外が好きだ」って言ったら、首をかしげられてさ。しかも「なぜ?日本はこんなに良い所があるじゃないか!」って私より詳しく語られて、なんかちょっと恥ずかしくなっちゃった』


アメリカ人がアメリカを語れない。フランス人がフランスを語れない。それに違和感を持つように、日本を語れない自分がいる。

その時、思った。もしかしたら故郷のことを知らないというのは、『自分のルーツ』を知らないこととイコールなのではないだろうか?

他人の良いところを見て憧れることは、良くあることだ。けれど、私はもしかしたら『自分の良いところを見つける努力』を怠っていたのではないだろうか。

もしかしたら「自分の悪いところから逃げる」ため、そして「特別な自分」を手っ取り早く感じるために、旅を利用していたのではないのだろうか……


故郷には、魅力的な場所がない? 魅力的な場所を、探すに値しない?

……違う。

私は「特別」は探していたのに、「いつも」は、知ろうとしなかったのだ。


「今度の旅先は、私の地元から選んでもいい?」

「いいけど、どうして?」

「私も、地元の魅力を再発見してみたくなったんだ」


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こうして私は故郷を、そしてこの日本を知りたいという気持ちがあふれ

冒頭でも話したとおり、47都道府県すべてを旅してきた。


実際に回ってみると、日本は広くて面白かった。

ひとつの県をまたぐだけで変わる文化。その文化の裏側にあるストーリーの数々。

まだ明かされていない未知の歴史。はるか昔から残されている場所、新しい場所。そこから見えはじめる、故郷の特色。


……「特別な自分」とは、なんだろうか。

自分がちっぽけで、価値がなくて、何の特徴もなくて。そんな自分でも、本当はすごいものを持っている。それがまだ見つかっていないだけ、発見されるのを待っているだけ。

そのためには「いつもの自分」が居る場所ではダメだ。だから「いつもの自分」を脱ぎ捨てるために、旅に出る……そう考えてしまうのかもしれない。


自らの見識を広げるという意味でなら、旅は「特別な自分」に近づく手段のひとつとして有効だと思う。

けれど、何かに目覚めて覚醒するといった類の「特別な自分」を求めているのならば、ここではない場所に「特別な自分」が転がり落ちていると思っているのならば、おそらく永遠に見つからない。

これは海外に行っても、日本に居ても同じだと思う。


では「特別な自分」は、どこに居るのだろうか?

それは「いつもの自分」の中に居るのだ。本当はすごいものを持っていて、掘り起こされるのを、今か今かと待っているのだ。


では、どうしたら発掘できるだろうか。

これは私の個人的な意見になるけれど……それは旅先などで「特別」な価値観を持った自分から、「いつもの自分」をしっかり見つめ直すこと。

そして両者間に矛盾を見つけたら、どうしたら「特別な自分」の元に「いつもの自分」を近づけることができるか、考えてみること。

これが「特別な自分」と出会うためのステップだと、私は思う。


……狭くて大きな、この日本という国で

そんなありきたりで大事なことに、私は気づかされたのだ。


あれから10年。

私は、あのとき憧れていた「特別な自分」に、何人か出会うことができた。

けれど、まだ終わりじゃない。他の「特別な自分」も、こちらに向かって手を振ってくれている。

だから、なるべく早く向かわなければ。

そこに辿り着くまで彼女たちは、いつでもいつまでも私のことを、笑顔で待ち続けてくれているのだから。


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