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#53もう二度とを聞きつつ思うこと

こんばんは、Mikuです!

今日は、金平糖の踊りではなく、半沢直樹のスペシャルを見ながらストレッチしてたら、左腿のうらがプチ肉離れのようになってやりすぎはよくないことを学びました。

まあそれはいいとして。

今日は、Twitterでとある方からメッセージを頂いた際に、ふと思った、被爆者の歌について書いてみたいと思います。(冒頭の画像は、西日本新聞社のサイトより引用しました。記事はこちらから。)

毎年、平和祈念式典で、被爆者の合唱団ひまわりがもう二度とという歌を歌っています。

それ以外にも、地元の学校の子どもたちとともに、平和を祈る歌を歌われたりしています。

しかし、現実問題として、このひまわりが歌う「もう二度と」という歌がいつまで効き目を持ちながら歌い続けられるのか…。

この歌は、被爆された方だけでなく、近年は被爆2世の方も歌われているようですが、後数十年後には、被爆した人たちと接触したことのない世代が歌うわけです。そうなった時に、本当に伝えたいメッセージが発信できるのか、汲み取ってもらえるのか、私には非常に気になるのです。

被曝された方が歌うからこそ、「もう二度と作らないで 私たち被爆者を」などのメッセージが伝わるのであって、例えそれを私とか若い人が歌ったところで、自分たちの心に残るかもしれないのですが、聴く人の心に届くのでしょうか。

もちろん、YouTubeなどには映像として残されていますが、それらは視聴されなければ意味がないですし、8月9日やその前後以外ではほとんど見てもらえないのではないでしょうか。

どうやったら、この歌を記録として残すだけでなく、若者のわたしたちが次の世代の人たちに効果的に引き継いで、そして学びの資料として、心に訴え続けることができるのかを考え続ける必要があると私は感じています。

難しいですし、思考停止してしまう話かもしれませんが、私は恐れずに切り込んでいきたいと思います。

今日は短いですが、足が痛いので勘弁してください(そっち?)

Auf Wiedersehen!

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みくまる/紅しょうがの感性日記
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