空を横切る巨大な龍雲と幣立神宮〜水と龍の旅九州編「うのこの滝」③
・2本髭の巨大な龍雲
「うわ!」見上げた空に「あいつ」はいた。2本の髭に、長〜い胴体、ご丁寧に尻尾はカールしている。
青空の海を一人悠々と泳いでるがごとく、空を横切る巨大な龍雲だった。大き過ぎて写真におさまりきらず…
こんな雲を見るのは初めてだったから、ちょっと動揺したが、娘と「なんか、来てるね〜」と言いつつ、何でもないような顔をして、高森のバス停周りを散歩する。
昨日泊まった「ペンションアンジェリカ」のご主人が、高森のバス停まで送ってくれたが、まだ高千穂行きのバスまでは時間がある。
美味しそうな味噌屋さん。味噌は重過ぎて買えなかったけど、入口のしつらえが素敵なので、写真を撮ったら、きれいな光が入っていた。
カメラの関係だろうけれど、今までにこれもなかったことだ。
今日は何か特別な一日になりそうだ。
・高森から幣立神宮への道〜バス停から歩いてみる
朝早くだと「幣立神宮前」まで行くバスがあるそうだが、この時間は少し離れたバス停「馬見原中鶴」から歩くことになるので、タクシー呼ぶといいよとのアンジェリカのご主人が教えてくれた。
全く土地勘が無いから、バスの運転手に降りる所を言って降ろしてもらったが、運転手さん曰く、歩いても行けるよ、とのこと。
それなら!とGoogle先生頼りに歩き始める。
11月というのに、今日も天気が良く初夏のような陽気だ。9月から台風のお陰で変更することになった旅だが、本当にお天気に恵まれている。
だけどコートを着てきてしまったので、どんどん暑くなってきた。
Google先生では、ただの一本道だが、歩き出すと、ともかく上りばかり。
幣立神宮はかなり山の上にあるようだ。
二人分フルの荷物は重い。キャリーの上に大きなボストンを重ねて、娘と二人、フーフー言いながら、車道の登り坂を上がって行く。
重いし、暑いし、着かないし…
30分以上歩いただろうか。
やっと、幣立神宮にたどり着いた。
そして、前に立ちはだかるのは、神社の石段。(後で調べたら150段もあった)
キャリーを持ち上げ、休み休み、やっとこ神社の本殿前まで着いた時は、まさにやったーーー!なくらいだった。
そこから先も砂利だったので、荷物を持ち上げながら、社務所を探したが、今日は閉まっているよう。
本殿に向かう。
・幣立神宮で正式参拝
ちょうど宮司様が、前の組の正式参拝を終えられるところで、運良く、次の回は私たちだけだった。
宮司様が厳しい方とブログに書かれてあったりしたので、私たちもすごく緊張していたのだが、
参拝が終わると、着替えられた宮司様からフランクに話しかけられたので、びっくりした。
その上、娘の笑顔のことをとても褒めてくださり、このためにここまで来たのか♪と思うくらいだ。
あの登り坂で時間をかけたお陰で、ちょうど私たちだけで、正式参拝していただけるタイミングだった。
荷物も本殿に置かせていただけることになって、これであちこち見て回ることができると一安心。
・不思議な水場と磁場
お宮から八大龍王が祀られている「東御手洗所」まで降りて行く道は、枝が一方方向に向いている木がたくさんあった。
ゼロ磁場とも言われているようだが、何か見えない力が働いているのが、枝ぶりでわかるのだった。
八大龍王の水場は、二つ水が出ていて、同じ場所なのに、味が違うということで、用意してきたペットボトルに汲み、飲み比べてみると、たしかに味が違っていた。
この旅のキーパーソン、れもんちゃんから小さな滝の話を聴いた時、この水場のことかなと言ったのだったが、やはり滝とは言えないね。
その水場の先には、田んぼが見えていて、木々の枝の向きはその先に向かっているように見えた。
実は、この旅に出る直前に、ある友人から幣立神宮へ行かれたら、ここへ行ってくださいと、資料を渡されていた。
思えばこの頃から、「行ってください。」や「連れてって。」と言われることが続くようになってきたのだった。
友人は私より少し前にここに来ていて、この先にある「世界平和道場」という所に泊まらせていただいたそうだ。その時に行った不思議な場所に行ってみてほしいとのことだった。
渡された資料によると「神陵」がこの先にあるらしいが、道がよくわからないし、資料の内容もちょっと怖い感じがしたが、友人に言われたこともあり、道を探そうとすると、
娘が「ママ、この先は行くならママだけ行って。」と言ってきた。
そうだよね、凄そうだけど、明るい感じのエネルギーではないのはヒシヒシと伝わってきていた。いったい何かわからないけれど、敏感なうちの娘を連れて行く場所ではないと思った。
いつかまた誰かと来ればいいね。せっかくさっき宮司さんに褒めていただいて、気持ち上がっていたところだから、今日はその気持ちで滝に行こうね。
私たちは、本殿へと登る道へと向かった。
・「タケイワタツノミコト 」と大ナマズ伝説
今振り返ると、幣立神宮は、分水嶺で、磁場も不思議な感じだし、感覚が今の私たちとは数段違うであろう、古代の人々が、この場所を特別だと感じて守ってきたのはよくわかる。
一万五千年前から続くというのも、縄文時代からの聖地なのだろう。
だから、タケイワタツノミコトも、ここに弊を立てた…
「タケイワタツノミコト 」「武磐龍命」は、神武天皇の孫と言われているが、崇神天皇の頃の人とも言われている。
神武天皇=実在は10代崇神天皇(3〜4世紀)説もあり、私もそう思うので、時代についてはまた考察したい。
「いわたつ」というように、阿蘇の外輪山の内側がカルデラ湖であったのを蹴破り、田畑に開拓した神と言われている。
漢字で書くと龍神のようだけど、こちらの意味だろう。
実際カルデラ湖は、私たちがJRから南阿蘇鉄道に乗り換えた「立野」あたりで決壊して水が出ている。7万年前くらいだそうだ。
神武天皇の頃、イワタツノミコトが、まさに磐を断って、カルデラ湖が無くなったという訳ではなさそうだが、
先ほど書いた東御手洗所あたりも、沼地の感じだったように、タケイワタツノミコトの頃も、あちこちにまだ沼や湖が残り、干拓していったのだろう。
阿蘇の外輪山の上「大観峰」からは、豊かな田畑がカルデラの中に広がっている景色に驚く。
この開拓の神が「タケイワタツ」であ蹴裂伝説では、「大ナマズ」の話が残っている。
水が流れていかないので、行ってみると巨大なナマズが頑張っていたので、殺してしまうという話だ。
由布院の金鱗湖は龍だったが、
こういう伝説が残っているということは、龍やナマズを信仰していた、水の人たちがいたのではないかと思える。
湖沼の漁労民だったのだろうか、大規模な稲作の始まる前の農民たちだろうか。
湖を干拓し農業化していく力あるものと、先住の民たちとのの争いの話が伝説となって残っているのだろう。
大分も熊本も、大和朝廷に従わない、「土蜘蛛」や「媛巫女」たちの話が多く残されている。
続きます〜