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家庭用ゲーム機の常識を変えたPlayStation2

PlayStationというハード

PlayStationからPlayStation4まで、世代ごとに特徴があり、どのハードも当時としてはエポックメイキングだったのですが、中でもPS2の登場、そしてPS3への流れはそれが強く出てたと感じます。
PlayStationの父、今はソニーを離れて活動されてる久夛良木健さんの思いを具現化した、ある意味ゲーム機を超えたゲーム機でした。

初代をはるかに超えたPlayStation2の衝撃

1994年に発売された(初代)PlayStationは、家庭用ゲーム機へのポリゴン採用、他機種と比べてゲームが制作しやすい環境、CDを採用し同時にゲームソフトや本体の流通の変革、本体の改良と低価格化路線、メモリーカード採用による個人のセーブデータの格納と整理が生まれたなど、それまでの家庭用ゲーム機(主に任天堂発)の常識であったものを次々と変えていきました。

その後継となるPlayStation2はどうなるのか、1997〜98年頃はセガ・サターンの苦境、NINTENDO64の苦戦が伝えられ、セガも任天堂も次の世代のゲーム機へシフトしようと、業界内外でいろいろリークやら噂が飛び回ってました。

当時の家庭用ゲーム機は性能表示として、核となるCPUのビット数(一度に計算できる桁のようなもの)で表しており、次世代のゲーム機は従来より性能が上がってることをアピールできる数字でもありました。

例えば任天堂のファミリーコンピュータは8ビット(明記されてはいない)、スーパーファミコンは16ビット、NINTENDO64は64ビットという具合です。
セガは、セガ・マークⅢとマスターシステムが8ビット、メガドライブが16ビット、セガ・サターンは32ビット(当時は32ビットのCPUを2つ積んだので、64ビット級と謳って性能をアピールしてました(笑)) ソニーのPlayStationは32ビットでした。なので32ビット機戦争みたいな報道もされかたしてましたね。

家庭用ゲーム機の価格帯を考えると、高性能なCPUは価格も高く、高性能で安定して入手できるCPUなどの部品を調達し組み上げてきた、いわば32ビットゲーム機世代のブラッシュアップ的なものになるのでは?という予想が大半でした。

事実、PlayStation2より早くに発表・発売されたセガのドリームキャストはより高性能な32ビットCPUと強力なポリゴン演算性能を備え、なおかつゲームが作りやすい環境を整えてきました。(余談ですが、32ビットな仕組みを内部的に4本持ってるから128ビット級!とアピールしてましたね・笑)

任天堂はCPUのビット数やポリゴン演算速度の最大瞬間性能をアピールするのではなく、より安定した性能を目指して開発されているという噂でした。
ゲームキューブはほんと情報が出て無くて…

PlayStationでそれまでのゲーム業界の数々の常識を覆してきたソニーのPlayStation2は、とんでもないものでした。CPUの数字でいうならセガ・サターンやドリームキャストの32ビット、NINTENDO64の64ビットを超える128ビット、ポリゴンを描画するグラフィックコントローラー(今でいうGPU)は2560ビットと、文字通り桁違いな数字で、情報が発表されるや否やまたたく間に話題をかっさらっていきました。


PlayStation2が作ったゲーム機の新常識

基本性能が高い上に、メディアとしてのDVDの採用、将来的にハードディスクやネットワーク機能を追加できるようなハードやシステム構造、ソニー製のビデオカメラや一部のパソコンに搭載されていたi.Linkという接続端子の実装。これは今でいうUSBや有線LANの意味合いで、これらの端子でPS2同士をつなげれば、通信しながら対戦できる仕組みも作れました(グランツーリスモやアーマードコアが対応してたかな)

DVDの採用は、当時のDVD専用再生機が10万円程度という市場において、DVDも見れてPlayStationのゲームも出来てなんと39800円! お買い得以外の何者でもありません。

ハードディスクとネットワーク接続のおかげで、FINAL FANTASY XIのような本格的MMORPGがプレイできたり、一部タイトルのネットワーク対戦が可能になりました。

これは今のPlayStationをはじめ、多数のゲーム機でも備えられてるマルチ家電的な発想ですね。

下位互換性がメーカーの認識を変えた

そして、従来の家庭用ゲーム機では考えられなかった前機種との下位互換性。つまり、PlayStation2を購入したら、(初代)PlayStationのソフトもまんま動くということ。セガも任天堂も従来やってこなかったことをPlayStation2はあっさりと成し遂げてしまったのです。
※正確にはセガのセガ・マークⅢは、セガ製ゲームパソコン「SC-3000」、家庭用ゲーム機「SG-1000/SG-1000II」との下位互換性を取ってましたけどね…。

黎明期からゲームで育ったワタクシのような世代は、ファミコンソフトがスーパーファミコンで遊べなくなるのは、新しいゲーム機なんだし当たり前と思ってました。
ソフトメーカーにしてもゲームを開発するにしても、なんで新しいゲーム機で古いゲーム遊ばせるの。遊べたら新しいゲーム機用のソフト売れなくなるよ!的な思いもあったでしょう。

しかしPlayStationの後継機となるPlayStation2においては、「VHSのビデオテープは上位機種のS-VHSでも再生できるのに、ゲーム機は上位機種では昔のゲーム遊べなくなるだろ。あれは不便なのでどうにかしよう」という、久夛良木氏の思いがあったとか無かったとか。

DVDもCDが再生できないとなれば地味に不便です。
この発想が素晴らしい恩恵を生みました。

実装された初代PlayStationのほぼすべてのソフトが動くという下位互換性。仕組み的には、PlayStation2の中に初代PlayStationそのものを入れた力技とも言える形です(笑

その下位互換の恩恵を最も受けたのが「ドラゴンクエストVII」。

1997年に「最も売れているゲーム機であるから」とPlayStationで「ドラクエVII」を発売すると発表されたのですが。待てど暮らせど発売延期のニュースなどで世間を賑わせPlayStation2の発表が合っても発売日すら確定せず。最終的にPlayStation2発売から約半年後の2000年8月に発売となりました。
ですがPlayStation2の下位互換があるおかげて、ドラクエのために前機種を持ち続ける、もしくは買い直すということをせずとも、プレイできる状態。事実、PlayStation用ソフトとして一番出荷された(約406万本)のは「ドラクエVII」なんですよ。


PlayStationでもPlayStation2でもプレイできたという仕組みはメーカーにとっても計り知れないものだと思います。

※余談1
PlayStation2発売後、初代PlayStationの最終機として2000年7月に発売されたPSoneは、攻略記事を書く一部メディアの間では、ドラクエVII専用機として活用されたとか。モニター+本体をどこでも持っていけるのは、今でいうノマド的な走りだったかもしれません

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これをうけてかどうかはわかりませんが、任天堂は、ニンテンドーゲームキューブの後継機となるWiiでは、ゲームキューブのソフトが動作するようにしましたし、ゲームボーイアドバンスではゲームボーイのソフトを、NintendoDSではゲームボーイアドバンスのソフトを、3DS(2DS)ではDSのソフトが動作するなど、下位互換性が備えられていったのです。

今では昔のソフトをリメイクし、ダウンロード販売が増えたりして、下位互換性は消えつつあります。しかし来年発売されるPlayStation5では、PlayStation4との互換性が備えられるということで、今のソフト資産を活かせるよなぁ、と内心かなり嬉しいです。

※余談2
PlayStationの話ではないのですが、マイクロソフトのXboxシリーズは、新しいゲーム機でも昔のディスク版を使っての下位互換性を年々拡張しており、Xbox ONE Xなど最新機種でも一部の初代Xboxタイトルがプレイできるというのはとても素晴らしい取り組みだと思います。ワタクシ、パンツァードラグーン ORTAをプレイしたいです! 今はもう動かない初代Xbox…

話がそれました(笑

PlayStation2については、DVDも、ネットワークも、GPUも、もっともっと語りたいところはあるのですが、今宵はここまでにしておきます(笑

気が向けば、また追加して書くかもしれません(笑

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