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【みく物語】「わたしの人生こんなもんじゃない!」毎日モヤモヤ、周囲の人間と環境に不満だらけだった事務OLが、自分を的確に知り、やばめな部分も堂々と発揮し始めたら、人生が開花した…!
こんにちは!みくです!
ここ数年間のわたしの変化を改めて振り返ってみようと思う!
以前のわたしは
SNSで毎日のように「会社辞めたい」とつぶやくが、実際はなかなか自分が過ごす環境を変えない。
職場や周りの人に不満が多く、毎日モヤモヤ。とはいえ、調和を乱したくないという気持ちもあり、その場しのぎで感じ良く振る舞い、我慢を積み重ねる。(その結果、職場で爆発したことが何度かある)上司との個人面談では、モノ申したいことがありすぎて毎度長時間に。
仕事のやる気なし。手が空いているとどんどん仕事を振られてしまうので、本当は早く終わっているのに、時間がかかっているフリをする。
事務仕事は得意だけど、好きなことではない。わたしの能力をもっと発揮できる場所が絶対に他にあるはず!と思うけど、何をどうしたら良いかわからない。
そもそも働きたくない。もっと遊びたい!!!!!と社会人になった日から毎日思っている。
働かないと生活が回らないと思い、とにかく働き続ける。転職を6回したことがあるけど、収入や社会保険の加入が途絶えることが心配で、毎回必ず退職と入社の間にタイムラグが空かないように、退社した翌営業日に即入社。
夫と普段はすごく仲が良いけど、価値観や意見の違いが発生した時に、わたしは(たぶん夫も)どうしたら良いかわからない。その場を丸く収めるために、夫婦の平和を保ち波風を立てないように、とりあえず我慢する。
夫に協力してほしいことがあるときに、一発で快諾してくれなかった場合、「協力してくれない」と受け取り、「夫にこう言われたから」と夫のせいにして、やりたいことを諦める。
小学生の時から毎年書いているやりたいことリストがどんどん叶わなくなっている。
本当は叶えたい夢があるけど、今更無理だと思うから、もうそれは諦めて、「今からでも叶えられそうなこと」を叶えて行こうと思う。
以前はこんな感じだった。でも、この数年間を振り返ってみたら、わたしはとても変わっていた。特に4年前くらいから、わたしは「本来のわたしらしく」生きられていると感じる。
今はどんな感じかざっくり書き出してみると・・・
一昨年、念願の会社員卒業を叶え、現在はSNSコンサルタント・しゃべりまくる人として活動中。好きで、得意で、楽しいことでお金を稼げている。
「SNSといえば、みくちゃん!」と沢山の人に頼られ、こちらから営業しなくても仕事が舞い込んでくる。
主宰するSNS講座では、わたしを信頼して、慕って、頼ってくれる受講生に恵まれる。
会社員時代の3倍稼げるように。
わたしの有料のファンクラブがある。現在2期開催中!
誕生日には友達やフォロワーの方々からプレゼントが沢山届く。
有料でもわたしに会いたいと言ってくれる人が何人もいる。
自分の魅力・性格・価値観が明確にわかっているので、むやみに他人に合わせたり、我慢したりしない。嫌なことや気分が乗らないことは感じ良くサラリと断れる。
夫婦関係を見直し、前よりもっともっと仲良しに。夫と考えが合わないときは、とことんお互いの話を聴き合える。
夫はいつもわたしを応援してくれるし、わたしの望みが叶うよういつも協力してくれる。わたしのお昼ご飯やおやつをいつも買い置きしておいてくれる。
子育ては「みく優先」を貫く。子育てであれこれ悩まない。息子に関して心配事なし。
育児がストレスにならないよう、長時間ワンオペにならないようにしている。保育園を時間いっぱいフル活用。実家の両親や弟にも沢山頼る。
毎年本音100%のやりたいことリストを書き、着実に一つ一つ叶えていっている。大きな目標も堂々と人に話せる。年齢や環境のせいにして諦めない。
そのやりたいことリストは、約78万人に見られていて、応援されているし、参考にされている…!
大好きなダンスとバレエのレッスンに最低でも週1回は通い、時々個人的にスタジオにこもり、Kpopのコピーダンスを練習している笑
激推ししているINIとJO1のオタク活動も充実。最近は突然思い立ち、ライブ前日にチケットを入手し、日帰りで大阪へ!INIが初めてドームに立つ瞬間に立ち会えて感動。
最低でも毎月1回はバレエ鑑賞を楽しむ。新国立劇場バレエ団が大好き!
特に平日は自由時間がたっぷりあるので、友達とランチしたり、一人でお出かけすることもよくある。
おうち時間も大好き。家にいるときはとにかくオタクしてる。推しの供給(YouTubeやTV)を消化したり、グッズをにやにやしながら整理したり。雑誌や本を読むのも好き。
小さい子供がいるけど、平日も土日も昼も夜も関係なく、好きなことができて、好きな場所に行かれる。
「若い」「綺麗」「子供がいるように見えない」とよく言われる。もはや言われることが当たり前になってきた…!
今はこんな感じの日々を過ごしているよ。
もう少し細かく振り返ってみるね。
長いけどぜひ最後まで読んでほしい!!
①妊娠発覚~出産まで
2019年9月。妊娠発覚。悪阻(つわり)が酷かった。最初の1ヶ月は食べ悪阻。その後、吐き悪阻に。
しんどかったけど、どの程度なら休んで良いのかわからず、途中下車したり、嘔吐しながら出社する日々。常に片手に黒いビニール袋(中が透けないように)をスタンバイしながら通勤していた。(今思えば、そんな人は電車に乗らないでほしい)
わたしはこれまで休職した同僚の仕事も引き受けたり、周りの人たちを助けてきたのに、上司に悪阻で体調が悪いと伝えても、仕事を減らしてもらえないことにモヤモヤした。
そういえば悪阻中なのに、送別会の幹事とかやってた。仕事は楽しくなかったけど、職場の人たちは愉快な人ばかりで、仕事から離れてしまえば全員大好きだった。
2020年1月。謎の感染症が流行り始める。楽しみにしていた市の母親・父親学級は中止。(男の人が妊婦体験するやつ。第一子の時しか参加できない)産院の出産前のママクラス中止。資料を各自で読み、特に重要な項目のみ助産師さんから説明を受ける形式になった。
定期の妊婦健診で毎回夫と一緒にお腹のエコーを見ることが楽しみだったのに、産院が患者以外の立ち入りが一切禁止となり、夫と一緒に妊婦健診に行けなくなった。
2020年3月。産休スタートと同時期に緊急事態宣言発令。「働きたくない!」と常に思っていたわたしは、産前休暇をすごく楽しみにしていた。最後の子なし生活を満喫するぞ!遊び倒すぞ!と意気込んでいたのに、予定は全部中止になった。引きこもりな日々。
マタニティフォトは自前で。強風にあおられながら、地元茅ヶ崎の浜辺で夫が撮ってくれた。
その頃、マスク完全に手に入らなくなり、母が沢山作ってくれた。妊婦には自治体からマスクが優先的に送られてきたことが、自分が大切にされている気がして、嬉しかったなぁ。
2020年4月。産院では、出産時の立ち合いも、産後の面会も不可になった。マタニティライフも出産も入院生活も、思い描いていたものと全く違うものとなり、産院からのお知らせメールを読みながらしくしく泣いた。
予定日は4/26だったけど、引きこもってばかりで運動不足なのか、息子が大きいせいか、ちっとも生まれてくる気配がない。
「県をまたぐな」の国からの指示?に従い、当時通っていた銀座の美容院には行かれず、産前最後の美容院は地元で済ませた。結果、絶妙にダサいシルエットになり、萎えた笑
そんな感じで、とても残念なマタニティライフ。
2020年5月。予定日を10日過ぎても生まれない。先生が陣痛促進の準備を進めたけど、それもうまくいかず、帝王切開することが決まった。わたしが細くて骨盤が狭く、推定体重3,800gの息子が下りてこれないことが理由だった。
手術が怖くて産院で大号泣。和痛分娩がしたくて、この産院を選んだのに、結局手術になったことがショックだったし、この産院の帝王切開の実績や口コミを知らないから不安だった。
(すぐに調べたら、先生は大学病院でも働いていて、ものすごい実績のある方だった)
手術前日。助産師さんに入院する個室に案内されるなり、「こんなに(お腹が)大きくなって…!甘いパンとかいっぱい食べたんでしょう」と、赤ちゃんが大きくなりすぎた原因はわたしにあるかのように言われ、怒りと悲しみで手術前夜は一人で部屋で泣いた。
しかも天気が大荒れで雷も鳴っていて「なんか不安だな」と思いながら、寝た…かったけど、あまり眠れなかった。
翌朝、無事に出産!
3,500g超の大きな男の子がわたしのお腹から出てきた!
その時、わたしは裸眼。乱視が酷くて(視力0.04)、息子が出てきた直後の様子はよく見えなかったし、抱っこもできなかったけど、元気に泣いているのはわかって本当に安心した。
手術だから夫が病院内で待機する必要があり、術後に一瞬息子と家族3人になれた時間があった。コロナで規制が厳しい中、出産直後の写真が撮れたのはすごくラッキーだった。
入院期間は帝王切開だから、普通に産む人よりも少し長かった。面会も他の患者との交流もなくて寂しかったけど(部屋から出ないでって言われてた笑)、息子のお世話の練習で意外と忙しくてあっというまに時間が経った。
手術の傷がめちゃくちゃ痛くて、平らな体勢で寝ることができず、斜めの状態(ベットのリクライニングを起こした状態)で座って寝てたから、休んだ気がしなかった。
いよいよ退院。産院のドアのすりガラスの向こうに、迎えに来てくれた夫と両親のシルエットが見えて、わくわくした。お見送りの助産師さんが「みんな待ちきれないって感じだね!笑」と言ってドアを開けてくれて、久しぶりのご対面!あのときのみんなの嬉しそう&安心した表情は今でも覚えている。
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②里帰り中に夫と大揉め。一年間、不仲状態。
退院後はわたしは実家に里帰りをした。そして、そのあとすぐに夫とコロナに対する考え方の違いで大揉めした。(親族みんなに息子を見せたい私 vs 緊急事態宣言を守るべき!な夫)
収拾がつかなくなるほどこじれてしまって、もうわたしたち無理かもしれないなと思った。こんなにお互い譲り合えなかったのは初めてだった。
コロナに関係なく、わたしたち夫婦は、これまでいつもお互いに我慢して、その場を丸く収めて平和を保ってきただけだったことに気付いた。「仲良い風」な夫婦だったと自覚してショックだった。
すごく揉めてしまったけれど、夫の全部が嫌いなわけじゃない。むしろすごく好き。
だけど、里帰りを終えて家に戻った後も、なかなか本当の意味での仲直りはできなくて、ずっとギスギスしていた。出産直後に揉めて離婚する夫婦が多いってよく聞くけど、わたしたちもその予備軍かもしれないと思った。
わたしは夫婦関係を根本的に改善したいと思い、パートナーシップの本を沢山読み、何年も前からずっとブログを読んでいた小田桐あさぎさんという方が主宰する「魅力覚醒講座」に参加して、人間関係やコミュニケーションについて教えてもらった。
夫の性格とかはほぼ関係なく、わたし自身の「スタンス」の問題だったと気付いたし、相手と意見が食い違った時には、意見を「言い合う」のではなく「聞き合う」のだと学んだ。夫はわたしを愛してくれているけど、揉めるとこじれてしまうのは、それが原因だったとわかった。
息子が生まれた約半年後に母方の祖父が亡くなった。
亡くなる半月前、わたしと夫はまた喧嘩をして、なんやかんやあっておじいちゃんの家に遊びに行く予定をドタキャンした。おじいちゃんの家は県内にあり結構近い。前はよく夫と遊びに行っていた。コロナの直前のクリスマスには、おじいちゃん・おばあちゃん・わたし・夫の4人でクリスマス会をして、料理が得意なおじいちゃんがパエリアを作ってくれた。
でも、コロナが始まってから会う頻度がとても減っていて、その日は久しぶりに遊びに行く予定だった。おじいちゃんはひ孫に会えるのをとても楽しみにしていた。
その直後におじいちゃんは肺炎を起こして入院してしまった。あの日遊びに行っていたらそれが最後の会える日だったのに。
コロナで入院してしまったら、退院するまで面会できない。86歳の人が重度の肺炎になって退院できるか?それが難しいことは、入院した時点で察した。しばらくはおじいちゃんとLINEでやりとりできたけど、ある時既読がつかなくなった。
おじいちゃんが息をしているうちに、おばあちゃん・おばちゃん・両親・わたしと弟たちは特別に面会させてもらえることになった。夫と息子は面会できなかった。
部屋に一人ずつ入れてもらって、おじいちゃんと二人きりになった。おじいちゃんはすごく苦しいから薬で眠らされていた。この前ドタキャンしてしまったことを謝って、これまで沢山沢山可愛がってくれたお礼を何度も何度も言った。その数時間後におじいちゃんは息を引き取った。
おじいちゃんは本当に優しい人だったから、わたしがドタキャンしたことを責めたり怒ったり絶対にしないけど、わたしはすごく後悔したし、夫も後悔していた。
わたしも夫もその感情にお互い触れなかったけど、そのあたりからちょっとずつお互いに歩み寄れるようになった。おじいちゃんが最後にわたしたちに教えてくれたことは、いつお別れになるかわからないから、仲良く過ごしなさいってことだったのかもしれない。
その後もお互いの話を聴き続けて、一年くらいかかったけど、わたしたちはやっと本当の意味で仲直りできた。
わたし自身に自分が変わるタイミングがあるのと同じで、相手にも変わるタイミングがあるんだなと思った。相手が変わるタイミングも、どんなふうに変わるかも、わたしが決めることはできない。
③育休中に自分ととことん向き合った
一方、子育てはかなり順調!でも、コロナで諦めたことがいろいろあって、今でも「あれやりたかったな」と思うことがある。
生まれたてのニューボーンフォトを撮りたかった。(撮ってもらう予定だったけど、産院にカメラマンが立ち入れなくなった)
両家の両親と一緒にちゃんとしたお宮参りしたかった。(家族3人だけで簡易的に済ませた)
産院で産後に参加できる「ママ会」に参加したかった。(その時に出してもらえる手作りのケーキがおいしいと聞いて、楽しみにしていた)
けど、友達や同僚が我が家に遊びに来てくれたり、家の近くまで来てくれたことが、本当に嬉しかったよ。
わたしのテキトー育児でも、息子はどんどん元気に成長してくれた!インスタや友達との会話はいろいろな育児情報で溢れていたけど、わたしは「なるべく楽をすること」と「わたし自身が楽しいか?快適か?」を優先して、余計な情報(「これやった方がいいよ」みたいな)は取り入れなかった。
子育てで、わたしを犠牲にしない。わたしを一番大事に扱う。うまくいかないことを子供のせいにしないと決めた。じゃないと、自分の心身の健康が保てないし、自分優先で物事を考えるようにしておけば、育休中も、仕事復帰した後も、イライラも疲れも最小限にできると思った。実際そうだった。
育休中はこんな風に過ごしていた。
授乳が面倒に感じて、ミルクに頼りまくり。夜間の授乳は一切なし。授乳は8ヶ月でフェードアウト。息子は食べることが大好きで、かなり早い段階から1日2~3回食べさせた。料理もなるべくやりたくないので、おかゆ以外の離乳食を一度も作らず、全てレトルト。卵だけはすごく気を付けていたのに、うっかり茶碗蒸しをあげてしまったけど大丈夫だった。(みんなは本当に気をつけてほしい!)
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児童館みたいなところは、わたしが楽しめなさそうだったので、一度も連れて行ったことがない。息子と行くのはスタバかタリーズ。息子はベビーカーでねんねしたり、遊んだり。わたしは読書をした。
子ども向けの番組よりも、YouTubeでKpopを一緒に見た。
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「魅力覚醒講座」は、全部オンライン開催で、そこで出会ったメンバー(魅力覚醒講座を受講した人のことを「アサギスト」と呼ぶ)とは講座以外でも毎日沢山やりとりがあった。息子と一緒にアサギストとのzoomにも積極的に参加して、家にいながらも日本中のというか世界中のアサギストと交流できた。(海外在住のアサギストも沢山いる)
アサギストに、わたしが得意なSNSやウェブ関係のことを教えて、お金をいただけるように。これがわたしの副業スタートだった。
当時は大人が全員マスクをしていたし、わたしも息子も引きこもり気味だったから、息子は保育園に入園するまで鼻水すら垂らしたことがなかった。
それくらい息子は健康で、成長曲線は身長も体重もかなり上の方。たくましく成長した。
母親であるわたしがあれこれやってあげなくても、講座やら副業やらに熱心で、子育てに全集中していなくても、子どもは勝手に元気に成長するんだなと実感した。
2021年4月。息子の保育園は家から一番近いところにある第一希望に決定!仕事復帰はまだ先だったので、わたし一人の時間が増えて嬉しかった。それまで「育児楽勝!」と思っていたけど、いざ離れてみると、寂しいどころか超快適だった。気付かないうちに息子とずっと一緒にいることを窮屈に感じていたみたい。
わたしは育休期間を通して、夫婦関係を改善するだけでなく、自分自身としごく向き合った。これからの生き方について真剣に考えたかったから!
時間の余白を作るために、面倒なことを手放したり、家事を減らした。何に対して、どんなときに、わたしはモヤモヤする感情や罪悪感を抱くのか、丁寧に見つめ直した。
事務職がわたしにとって天職ではないことはわかっている。
わたしの人生こんなもんじゃないと思っている。
会社の社内報の自己紹介に「プライベートは育児に奮闘中!」とか「よく子供と公園に行きます」とか書いてる人が多かったんだけど、わたしは「仕事か育児か」みたいな毎日を過ごすのは嫌だし、そもそもわたしはそっち側の人じゃないと思った。
ある日、四柱推命鑑定士をしているアサギストに、わたしの命式を見てもらった。わたしはあまり占いに興味がない。なのに四柱推命に興味を持ったのは、結果が生年月日で決まり、抗えないから。そして、中国で古くから伝わる占いではなく「統計学」だと知ったから。
これまでに自分と向き合ってきて「わたしって本当はこういう人なんだよな」「こうやって生きていく方が合っているんだろうな」とぼんやりと浮かんでいたことと、わたしの四柱推命の命式が表すことが見事に合致していた。
「自分が思う方向で合っているよ」と四柱推命がわたしの背中を押してくれた。
わたしは真冬の荒れ地に咲く花。お花であることを自覚すること。
魂の本質を年齢で表すなら幼児。わがままでお姫様気質。
人から柔らかい印象を持たれることが多いけど、実際は強情で自分の思い通りに物事を運びたくなる。
誰かの役に立とうとしなくて良い。楽しいことをしていたら、それが自然と誰かのためになる。
わたしはエンターテイナーの星を持っている。
成功するまでに少し時間がかかる。自分が体験したことが後になって開花する。だから、実際にいろいろな経験をすることが大事。
鑑定士の友達は「みくちゃんは四柱推命が表す星を活かせてると思うよ」と教えてくれた。
「好きなことがお金になりにくそうなことではあるけど、お金は後からついてくるから、とにかく好きなこと・楽しいことをして。会社はいきなり辞めなくても、少しずつ働く時間を減らすとか、そういうことからやってみるといいと思う」とアドバイスをくれた。
わたし自身は、わたしのことをこう思っている。(これがさっき書いた四柱推命と合致していて嬉しかった)
自我も気も強い。めげない。落ち込まない。
わたしは人の上に立つタイプではない。(学生時代、○○委員長みたいな役目をいつも積極的にやっていたけど、あれはみんなをまとめようとか思ってやっていたわけではなく、自分に決定権が欲しくてやっていただけ笑)
わたしは人の前に立つのは向いていると思う。(ダンスが好きなのも、人前でしゃべることが得意なのも、そういうこと)
マイペースで、のんびりしている。楽観的。
競争や出世に興味なし。
人に指示されることが嫌。怒られるのも嫌。ルールはわたしが決めたい。わたしがルールよ!!
性別や年齢を問わず、みくを可愛がってくれる人が好き。
わたしに興味がない人には、わたしも興味がない。
コツコツと積み上げたり、目標から逆算して考えるのは苦手。何事もノリと勢いで突き進んでいきたい。
人と過ごすのも好きだけど、一人の時間もしっかり取りたい。
他人主催の大勢の場は苦手だけど、自分が主催・自分が主役の大勢の場は好き。
昔はアイドルになりたかった。今でもなりたいと思っているし、性格が「アイドル気質」ではあると思う。
感覚派。わたしが「しっくりくる」方を選べば、間違いない。逆に頭で考えたことは全然うまくいかない。
遊ぶ・食べる・寝るがすごく大切。楽しいことが大好き。
自由に何かを作ったり、書いたり、企画したり、クリエイティブなことが得意。
好きなことと楽しいことに限り、すごく頑張れる。
自分が表に出て活躍したい。
一言で言うと、わたしは「わがままな姫」
わたしはこれらを全部受け入れて、遠慮なく発揮して生きていくことにした。
まぁ事務職はやっぱり違うよね。育休が終わるタイミングで、わたしの魅力・性格・価値観をわたし自身が明確に自覚することができて良かった。
この後のわたしの人生において、あらゆる選択をするときに役に立った。今までは自分のことをあまりよくわかっていなかったから、謎の選択を繰り返していたんだな。
④仕事復帰。働きやすいと思っていた職場は働きにくい場所に。
2021年5月。息子の1歳の誕生日までしっかり育休を取り、仕事復帰。初日は9時に会社に到着できただけでも「よくできました!」と自分を褒めた。
職場の人たちはわたしを温かく迎えてくれたけど、久しぶりに沢山大人がいる空間は緊張した。会議ではたいした話をしていなくても全部難しい話に聞こえた。
仕事内容は楽しくないけど、わたしは職場の人たちとの関わりが楽しくて続けてこれていた。
でも、みんなマスクをしていて育休中に入社した方に関しては顔が最後までわからなかったし、お昼は個人で食べて、それぞれのデスクには仕切りがされていた。しかも透明じゃなくて白い板…!選挙台のような雰囲気で閉鎖的だった。コロナ前のみんなで雑談しながら仕事していた日々が懐かしい。
職場の人たちとの関わりだけが唯一仕事で楽しいことだったのに、楽しさを何も見いだせなくなった。わたしにとっては「楽しい」と感じられるかどうかはとても大切なこと。会社に悪い点は一つもなく、わたしには合わないというだけの話。
仕事はやっぱり楽しくない。ずっと育休が良かった。保育園に預けて、育休のままがよかった。要するに仕事を辞めたい。「そう遠くないうちに辞めよう」とぼんやりと決めた。
コロナはなかなか収束せず、息子は何度も濃厚接触者になったし、感染が拡大したときは登園自粛もした。基本的に毎日、園で過ごす時間をなるべく短くするよう自治体からお願いされていた。
うちの会社は在宅勤務がほとんどできないことがネックだった。仕事が紙ベースだし、大量の個人情報を扱う仕事だったため仕方ない。
「在宅勤務は週1日」というルールだったけど、上司に相談して週2~3日にさせてもらっていた時期もあった。
でも他の社員から「子供のいる人ばかり例外が認められてずるい」という声があったそうで、途中から「多くても週2日まで」となった。上司も心苦しそうだった。
良い会社だったけど、こういう状況だと働きにくい会社だなと感じて、ますますわたしの「仕事辞めたい欲」は強くなった。
⑤本当の望む未来が見えてきた。退職を決意。
2022年1月。やりたいことリストを本音全開で書き切った。やりたいことリストは小学3年生の頃からずっと書いている。
これまでにわたしがやりたいことリストに書いていたことは、他人から「すごい」と言われそうなことばかりで、かっこつけていた。
でも「誰にも褒められない、感謝もされない。それでもやってみたいことってなんだろう?」という視点で、改めて一から書き直してみたら、自分が本当に望んでいることが見えてきた。
今の環境で毎日を過ごした延長線上に、わたしが望む未来がないことにも気付いた。
わたしは、退職を決意した。
夫にこれからわたしがどう生きていきたいかを話したら、夫は「やってみたら?」と言ってくれた。収入の心配とかもあったと思うけど、わたしのやりたいことを一切否定せずに聞いてくれて嬉しかった。
その後、上司に退職したいと伝え、数ヶ月後に辞めることが決まった。
ある日、インスタ経由でサンクチュアリ出版の金子副社長からトークイベントをしないかとお声がけいただいた。わたしは読書の記録をずっと前からインスタに載せていて、金子さんは過去の投稿を遡り、全て読んでくださった。
「ただ『おもしろかった』とか『おすすめです』みたいな感想ではなく、みくさんの価値観が書かれていて、読んでいてドキッとしました」と言ってくださった。
ただの会社員(しかも事務職)のわたしがわざわざトークイベントをするなんて!なんの話をすればいいのか…!
でも、こんな機会めったにない!願ってもいなかったチャンスが舞い込んで来た!と、やらせていただくことにした。このご時世だし、リアル開催は集客に自信がなかったけど、挑戦してみた。オンライン開催のイベントはアサギスト環境でいくらでもできるから、いつもとは違うことを選んでみた。
2022年5月。無事に開催。反省点だらけだったけど、高校の友達やアサギストたちが来てくれて本当に嬉しかった。
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数々のベストセラー作品がずらりと並ぶ棚の前で写真を撮らせてもらった。
「本を出版してみたい」という夢にほんのちょっとだけ近付いた気がした。
2022年7月。5年半お世話になった会社を、円満退社。感謝の気持ちでいっぱい。
そして、ずっとずっと憧れていたニートになった。
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⑥実質ニートだけど、個人事業主デビュー
2022年8月、すぐに開業届を出して、個人事業主に。保育園に提出する都合で、このタイミングで開業届を出さなければならず、まだたいした収入もないのに個人事業主になってしまった。
そんなわけで失業手当を受け取れなかったし、自分のサービスが思うように売れず、貯金が全然ないのに無計画に会社を辞めたので、すぐにお金が底を尽きた。国から無利子で借金できる制度を利用したり、慌ててバイトを始めた。(アサギスト友達が夫婦で経営している会社をお手伝いすることになり、一般的には絶対にないだろうなっていう良い条件で働かせてもらえることになった)
ある時、お金が本当になさすぎて、ダンスやその他の好きなことを辞めないといけないかも…という事態に陥った。
アサギストのみんなに事情を話して、「ご支援いただけませんか」と投げかけたら、みんながお金を振り込んでくれて数日で12万円が集まった。みんなのおかげでダンスを辞めずに済んだ。
2023年はそのお金でレッスンに通ったり、スタジオをレンタルできたよ。
この歳でそこまでお金がなくなるなんてちょっと恥ずかしいけど(「すごく恥ずかしい」とは思ってない笑)、助けてほしい時に「助けて」と言える自分も、誰かが助けてくれる環境も、すごいなと思った。
⑦だんだんと仕事も好調に♪
その後も上手くいかないことが多々あったけど、わたしはめげない・落ち込まない性格なので、挑戦と失敗をひたすら繰り返しながら、自分のサービスをブラッシュアップし続けた。
ビジネスの勉強も続けた。(余談だけど、ビジネスを学びたい人は「まずビジネス講座に入る」のは本当におすすめしない。まずは自分を知る。そして、それをどう活かして生きていくかを考えた上で、ビジネスの知識が必要なら、自分に合ったビジネス講座を選ぶんだよ)
「売れそうなもの」よりも、「わたしがやりたいこと」「わたしが楽しいこと」を企画するようにした。
サービス内容は、わたしが「言いたいことを言いまくる」ことに重きを置いた。そしたら、「みくちゃんが言いたいことを言いまくってほしい」という人がちょっとずつ集まり始めた。
ビジネスの型にガチガチにはめるのは苦手だけど、最低限のポイントをおさえて、企画して、準備して、売った。
次第に実績と口コミが人を呼び、だんだんとお客様が増えてきた。高単価なサービスも売れるようになったし、自分から営業しなくても仕事を依頼されるようになった。そして、最近バイトを減らすことができた。(今もまだ月数回働いているけど、辞める予定だよ)
「SNSコンサルタント」として、ウェブ関係のことを教えるサービスがメインだったけど、最近は「しゃべること」「わたしの存在自体」をマネタイズできるようになった。
おしゃべりが好きなので、定期的にインスタライブをしていたら、今まで以上にファンが増えた。ある方が「みくちゃんのおしゃべりは本当に楽しいから、マネタイズしてみてほしい」とリクエストしてくれて、「おみくサロン(わたしがしゃべりたいことをしゃべりまくる有料ファンクラブ)」開始。現在2期開催中!
インスタで出会った方だけじゃなくて、高校の友達もオタク友達もアサギストも参加してくれているよ。野呂佳代・若槻千夏・指原莉乃に並ぶくらい話がおもしろいと褒められたことも!笑
⑧終わりに
約4年間のエピソードを書いたら(これでもかなり絞りました)めちゃくちゃ長くなっちゃったけど、わたしの変化はこんな感じ。
読んでくれてありがとう!
これを読んでくれた人が、過去のわたしと同じようなことで悩んでいたり、「わたしの人生こんなもんじゃないはず」って今の毎日に100%満足できていないなら、少しでも何か感じてもらえたら嬉しいな。
あの子が読んでくれたらいいなって友達の顔を一人一人思い浮かべながら書いたよ。
最近、友達に会った時に
・みくの活躍がすごい
・みくを見てると元気が出る
・会うたびに綺麗になってて輝いてる
・若々しくて子供がいるように見えない
・なぜか全然おばさんっぽくならない
とか言ってもらえることが増えました。本当によく言われるんだよね。前は友達に「可愛い」とかわざわざ言われたことなかったと思う。
で、自分でもそう思う!笑
「(自称)永遠の27歳」だし、今36歳だけど、若々しいし、前よりは可愛くなってきたかも?と思う。
自分らしく生き生きと過ごすには「自分をよく知る」ってことが不可欠。
自分のこと(魅力・性格・価値観)を正確に自覚していると、あらゆることの判断に迷わない。何かを選び取るときに自分に合っているものがわかる。
そして、自分の魅力や性格が、他人や社会にはあまり評価されなさそうだったり、周りに受け入れてもらえなさそうな感じだったとしても、それを堂々と「わたしってこういう人なんだよね!」って出していくことが、もっともっと自分らしく生きていく秘訣なんだよね。
短所こそ魅力だよ。
わたしは「わがままな姫」な自分が大好き。
生まれ変わっても、またわたしに生まれたい。
わたし一人で、自力でここまで来れたわけではなく、小田桐あさぎさんの「魅力覚醒講座」に飛び込んで、あさぎさんからのアドバイスを実生活に落とし込んでみたり、アサギストたちと日々やりとりしたり、これまでにはしなかった選択をしていくことで、「みくだけの唯一無二の魅力」を開花させられたの。
自分の感情と向き合うことで気付いた魅力もあるし、あさぎさんやアサギストが「みくちゃんってこういうところが魅力的だよね」って教えてくれたことも沢山あるよ。
2020年に魅力覚醒講座13期を受講して、その後もOGとして参加してたんだけど、一年くらいアサギスト環境から離れてた時期もあったんだよね(「他人が作ったコミュニティに属すの無理だわ」「わたしはコミュニティを主催する側の存在だもん」とか思って笑)
でも、去年の9月に久しぶりにあさぎさんのセミナーに参加して「なんか楽しそう!」って思って、先月まで実施されていた19期に久しぶりにOGとして参加。
戻ってみたら、めちゃくちゃよかったの!前はあさぎさんとアシスタント1名だけで運営されていたから、いろいろと抜け漏れがあったんだけど笑、今はしっかりとした運営チームがあって、情報が整理されていてわかりやすい。運営が超ちゃんとしてる…!
19期は2,000人参加していて、新たな出会いがめちゃくちゃあった!
新しい友達もお客様も激増したよ!
「他人が作ったコミュニティに属すの無理だわ」「わたしはコミュニティを主催する側の存在だもん」って思ってたけど、今ではアサギスト内外問わず自分のコミュニティを作れてる。結局!
アサギスト環境は最低限のルールはあるけど、自由にのびのびとやらせてくれるところが居心地が良い。
アサギストって、わたしがそうであるように、自分の魅力・性格・価値観をはっきりと言語化できてる人が多いんだけど、お金のある人も多いんだよね。
自分が本当にやりたいことがわかってるから、稼ぎたい・お金が欲しい・養われたい…みたいな欲望に対して、みんな忠実に生きている。だからお金のある人が多いの。
会社員だろうが起業家だろうが、稼いでる人だらけだし、専業主婦だとしても「夫を稼がせることができる主婦」が多い。
だから、わたしの中で「それが当たり前」っていう感覚になってきてて、わたしもこれからもっともっと稼げるようになるって思ってるよ。
環境の力は偉大!これまで月20万円台で働く人たちの中で過ごしてたから「事務職だし、月20万円台が妥当だよね」っていう感覚になっていたのは当たり前で、そこから抜け出すことは難しかったと思う。(また余談だけど、事務職だって、起業したら月に何十万円も稼げると知った)
わたしの変化と活躍の裏に、小田桐あさぎとアサギストあり。
この環境に身を置いていること抜きに、わたしの日々は語れない。
わたしはこれからも自分の人生に変化を起こし続け、そういう人たちと時間を共に過ごします。
これからも見ててね!!
最後の最後に今後やりたいことも書き残しておきます。
1万人規模の会場で踊ったり、しゃべったりしたい!若い頃、アイドルに憧れていたけど、目指すことすらしなかったので、今からなります。笑
六本木アカデミーヒルズで講演会!新卒で入社して、すぐ退職した会社が六本木ヒルズにあったんだ。苦い思い出のある場所で、わたしのことが大好きな人たちに来てもらって、踊ったり、しゃべったりしたい(←講演会なのか?)
わたしが存在するだけで生きていけるようになりたい!何もサービスを提供しなくても、お金がどんどん入ってくるようにしたい。ファンからお金をいただいて、もっともっと人を楽しませることをしたい!(以前はこういう望みがあるって自分で全然気付いてなかったけど、ベストは働くより、貢がれること。)
本を出版したい!内容は未定だけど、自分が思ってることをただひたすら書きたいな。エッセイ?
ダンスが上手になりたい!!初見の振り付けをクリアに踊りこなしてみたい!
自分の誕生日にディナーショー!みんなで踊ったり、みんなの好きなことも披露しあう時間にしたい。
わたし好みのノートをプロデュースしたい!やりたいことリストが200個くらい書けるようにするよ!
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長くなったけど、ここまで!
読んでくれて本当にありがとう!