運命と感情、そして芸術
【大学時代の日記より】
18歳で
取捨選択を覚えた。
「好きなものは選ぶ
嫌いなものは捨てる」
単純に言えばこうだが
「必要なものは大切にする
興味のないものは関わらない」
昔は
「関わったものは
全て大切にしたい」
という
100点満点目標と
奇麗事大好きの
ハングリー精神があった
私は
満点目指して
くずれたのだ。
人間はそこまでできていない
私も、周りも、
「人生に無駄なものは捨てる」
けれど
「愛したものは
できれば一生、一生懸命愛せ」
人生の取捨選択とは
愛するものへの尽くし方
であると私は考える。
人には好みがある、
体が求めるものだ。
求めるもの同士の出逢いを
#運命 と呼び
彼等の子は
生まれるべくして生まれてくる
受精した瞬間から
DNA好みは遺伝し
体は決まったものを求め
その子の運命は決まる
しかし
体が求めるものを与えない、
運命に逆らうと人は不幸になり
それでも逆らい続けると
死に至る
人間という生物に
好みによる運命がある中、
#感情 が備わっていることが
私は疑問である。
一体なんの為に?
人間とは未完成な生き物だから
成長する為なのだろう
感情が存在する理由は
進化する為なのだろうか。
機械は進化しているが、
機械は人間に負けるのではないか、
所詮写真は写真だ。
なぜならば
機械には感情がない。
感情こそが #芸術 であるのだから
#濃い感情 を吸い取った
芸術じゃないと
人は感じない、
世に残らないからだ。
色々と経験したが、
結局辿り着いたのは芸術だった。
わかってくれるのは芸術だけだ
芸術は絶対裏切らない
【大学時代の日記より】