父と別れ、父となる
2月10日から20日の間、父が亡くなりました。
おそらく80前くらい?だったんだろうか。
戸籍事務従事者だった経験上からお話しますと、2月10日から20日の間に死亡。これだけでいろんなことが察することができます。
死亡日が確定しない。これは、医師が死亡確認をする前にすでに亡くなっていた事を示します。通常、医師が死亡確認をし、死亡診断書を作成し、役所に提出されます。しかし、医師のもとに”遺体”として運ばれたものは、医師はおおよその死亡日時を推定し、死因を特定し、警察は事件性があるかどうかを判断し(自殺か他殺か)、双方の情報を下に、死亡検案書が作成されます。これを役所に提出されます。2月10日から20日の間。これは医師が2月中旬に死亡。と記載したことを意味します。戸籍にはこのように置き換えて記載するのです。
冒頭の走り出しから察する通り、私は父親をほぼ知りません。
私は先天性の心臓病を持って生まれ、今現在も1級障害者手帳持ちです。
その現実から父親は逃げる選択を取りました。
他に女を作り、離婚し、その女と新しい家族を築きました。当時3、4歳くらいだった私は、その女と会うときに連れて行かれた記憶があります。何やらカメラのおもちゃを渡されてご満悦だった記憶です。
その後2度の心臓手術、その他様々な医療費を、母親は女手ひとつで稼ぎ、兄と姉を含めて三人育て上げました。
ようは、この浮気相手と密会する時に連れて行かれたのが父親との最後の記憶です。
だから私は父親というものを知りません。家庭では10歳離れた兄が優しく、時に厳しく、同じ男として接してくれてました。11歳離れた姉は、常に心強く、いつも傍で見守ってくれてました。ですが、父親というものが解りません。友達の家などに行けば、いろんな父親がいるもので、どれも明確な父親像にはなり得ませんでした。
別に父親なんていなくても何も不自由しなかった。いや、母が、姉が、兄がそう思えるように努力してきたんだと思う。
でもだからこそ人一倍、見えない何処かでは貪欲だったんだと思う。父親というものに。
やがて思春期を迎え、周りがなりたいものに向けて走り出しているなか、みんなとは少し方向性がズレた夢を持つようになります。
稼げるのならどんな仕事でもいい。
家庭をもって、”父親”になる。
そんな、みんなにとっては当たり前な、過程のような夢が、私にとっては大きな夢であり、欲望であり、願望であったように思えます。
やがて20代中盤に就職し、結婚し、女の子2人と男の子1人を授かりました。
夢、叶いました。
お話ならここで終わりですが、そうはいきません。人生ですから、私も、妻も、子供たちもこれから先を生きていかないといけません。
子どもが生まれるとき、誰にも漏らしていなかったのですが、本当はすごい不安で、すごい恐かったことを覚えています。
父親を知らない私が、逃げ出した父と同じ血を引く私が、父になれるのだろうか。
そんな葛藤を吹き飛ばしてくれたのは、立ち会い出産で長い時間、痛みに耐えながら産んでくれた妻を見たときでした。
生まれた瞬間は、ふたりとも泣いた、と思います。覚えてないけど。
こぼれそうな小さな命を手にしたこの時にふたりともなったんだと思います。
母に。父に。
この日以来、不安はなくなりました。
世の父親はこんなときどうしてるの?とキョロキョロすることはあれど、割と自信を持って自分なりの父親をやれてると思います。
さて、父親の話に戻ります。
離婚してから、父は再婚相手とも子どもを三人つくりますが、離婚します。
そのあとは数人の外国人との結婚離婚を繰り返します。これも、戸籍従事者の経験上察しが付きます。外国人の在留資格取得のための偽装結婚、のために戸籍を売っていたんだろうと。やがて、数年前から父親の居住地の役所から生活保護申請者への支援のお願いの通知が届くようになります。ある程度偽装結婚繰り返すと目立って売れなくなりますからね。
兄弟で通知を無視し続けて(ちなみにこれは無視したほうがお互いに得。変に支援すると生活保護が通らなくなる)幾年か経ち、居住地の役所よりいつもと違う通知が届きます。
2月中旬に亡くなったこと、遺骨の引き取りの申し出が無い場合、無縁仏として処理されること。
この通知を受けて、私を含めて、兄弟ですぐに動きました。
遺産相続放棄手続きです。
死亡の事実を知った日から3ヶ月以内に手続きをしなければならない。と法律にあるからです。
そして離婚していようが、我々は親子の関係は切れません。どこまでも父の子なのです。
なのでどんな事があってもこの父親の負債を継ぐわけにはいかない。継ぐ義理がない。我々には我々の家庭がある。そう、お前のように、家族を捨てるわけにはいかないのです。
20代の頃はすごく悩んだんです。
会うべきなんじゃないかって。生きてるうちに父親というものを知っておくべきなんじゃないかって。
子どもができてからは、デメリットのほうが多すぎて会うという選択肢は消えましたけどね。
父とはこれで本当にお別れとなりました。
あなたは何を思って結婚して、子どもを作って、離婚したんだろうか。あなたの人生とは何だったのだろうか。貴方は幸せだったのだろうか。
今はもう知る由もありません。
父を教えてくれなかった父。
さようなら。
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