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顎がビッグバンをおこしたはなし

これは、
「ちょっと歯が痛い気がするんだよねー。近いうちに歯医者へいってみよう」から
「もしもし。予約をお願いします。できれば今日。何時でも伺いますからああああ!」
に激変した激痛の3日間の記録だ。

day1 /近所の歯科
「なにもないね。虫歯はないよ」

先生は少し不機嫌になった。

「痛い痛い」とさわぐから、予約と予約のわずかな隙間に無理やりねじこんでやったのに、実りのない口腔内だったからだろう。

「でも。すごく痛いんです。今は落ち着いていますけど……」
「今、落ち着いているなら大丈夫だよ。歯石だけとってあげよう」

ついさっきまで。歯医者の待合室に腰をおろしたその瞬間まではすごかったのに。

わたしの奥歯にドラマーいる?
奥歯でなにか奏でちゃってる?ってぐらいにぎやかだったのに。

先生。どうか一時の平穏に騙されないでください。
事件は間違いなく顎で起きています。
ホシはわたしが歯医者に助けを求めたと知って、身を隠しているだけなんです。

わたしは食い下がる。

「痛いだけじゃなくて、歯に浮遊感があるんです」

痛みが「気のせい」で誤魔化せなくなってきたころから、歯が地(歯ぐき)に足(根)がついていないような奇妙な感覚が生まれていた。放っておいたら奥歯が黙って歯ぐきからでていってしまうかもしれない。

それを物理的に説得できるのは歯の神、歯のキング、歯の大統領......つまり先生、あなただけ......。
先生は金属の棒を手にとって奥歯をグイグイおす。

「痛い?」
「今は平気です」
「やっぱりなんともないよ。今、僕が君にできることはなにもないね」

day2 メルヘン歯科
先生に「君にしてやれることはないね!」と言われた晩。
顎でビッグバンがおきる。
顎が断続的に爆発したのだ。
それはまるで多種多様な「痛み」が一堂に会した壮大なシンフォニーのようで。
一晩でいくつもの宇宙が誕生した。顎に。

ロキソニンをもってしても痛みを遠ざけられるのは一時間が限界で。わたしは薬を飲むため自室がある2階と、1階のリビングをなんどもなんども往復した。
薬と水を枕元に置いておこうとか、そういう効率的なアイデアは激痛が邪魔をして思い浮かばなかった。

「歯!そして顎!鎮痛できません!」

痛み止め部隊が白旗をあげている。

「増援を呼ぶから!もうちょっと頑張って!私の安眠のために戦って!」

もはや用法用量を守っている場合ではなかったし、出勤している場合ではなかった。一睡もできぬままむかえた明け方の4時。カラスがさえずり、窓ガラスにうつる色が濃紺から薄水色に変わるころ。
スマホをたぐりよせ、職場に向けてメールをうつ。

「休みます。なぜなら体調が悪いから」

近所の歯科はわたしになにもしてくれないという。ならばセカンドオピニオンしかないだろう。

近所の歯科が建つ通りに、お城のようなメルヘンなたたずまいの歯科がある。開院時間と同時に踊るようにしてメルヘン歯科へ飛び込んだ。

受付のおばさまから

「あなたは予約をしていないから待つよ。すっごい待つことになるよ」
と諦めてほしそうな言葉と空気をかけられたけど、ごめなさい。わたし今回ばかりは空気を読みません。

「いくらでも待ちます。お願いします」
と待合室の端っこを陣取った。待合室でもビッグバンは続いてて、寝不足と激痛で魂が家出しかけていた。

ところがだ。
名前を呼ばれたその瞬間に
痛みがすうっと引っ込んだ。

この展開。
嫌な予感しかない。

メルヘン歯科には先生が2人いる。1人はずっと笑顔で、もう1人はずっと笑顔がない。

笑顔の先生の評判はすこぶる良い。
「素敵な笑顔」「どんな時でも笑顔」「先生の笑顔は癒される」など、とにかく五つ星の笑顔らしい。

一方、笑顔がない先生の評判はすこぶるゾッとするもので。
「とにかく怖い」「どんな時でも不機嫌」「怒られているような気持ちになる」など、五つ星の恐怖らしい。

そして、わたしが診察室で向かい合っている先生は笑顔がない方だった。口コミどおり五つ星級に不機嫌である。怖い。

「あなたが顎が痛いというから、顎まで撮ったけど。歯を含めどこにも異常はありません」

なんとホシはレントゲンの包囲網をすり抜けたらしい。レントゲンに丸裸にできないものがあるなんて。そして、それがわたしの奥歯だなんて。

「あの。待合室にいるときは顎が爆発しそうなほど痛くて。夜も眠れなくて......」
「ふーん」

先生は予告なく、金属の棒でわたしの奥歯をゴンゴン叩いた。餅でもつきはじめたかのごとく、つけばつくほど美味しくなるのよと言わんばかりに。

「虫歯なら痛みで飛び跳ねるはず。そんな風に平然としていられません」

どうして歯医者と対面する時だけ平然としてしまうのだろう。ついさっきまでなら激痛で呆然としていたのに。
それにしても、虫歯のハードルが高くて驚いた。飛び跳ねないやつはおよびでないとは。

でもね、先生......。
やっぱり事件は顎で起きていると思うのです。

day3 ふたたび近所の歯科
笑顔がない先生から「まことの虫歯とはおもわず体が弾むほどの衝撃である」と言われた晩。
歯ブラシが奥歯に触れたとき、体が跳ねた。それはもう跳ねに跳ねて。床がトランポリンに化けたかのようだった。

体が飛びあがるほどの痛み!
これすなわち、まことの虫歯。
文句なしの虫歯。

翌日。どこへだしても虫歯な奥歯をひっさげて、近所の歯科へ再訪した。

「どこもなんともないのになぁ」
と先生。金属の棒がそよ風のようなさりげなさで奥歯に触れた。その時だった。がんばったけどひっくり返せなかったオムレツみたいに体が跳ねる。

「ええっ!ちょっ.......そんなに!?」
と驚く先生。
これはもう金属の詰め物を外してなかをあらためるしかないとなり、いよいよ本丸に攻めこむことになった。

そして。
「あっ.......」
先生の手が止まる。
銀河(銀歯)の奥のブラックホール(虫歯)をどうやら目撃できたらしい。

「ほんの少し、ささやかに虫歯がすすんでいますね」
先生、突然の猫なで声である。

やはり事件は顎で起きていたのだ。

その後、建設現場でしか聞かないような音をたてて歯を削り、ささやかなブラックホールは封印された。こうしてわたしは3日間の激痛と睡眠不足から解放されたのだ。

ちなみに、レントゲン撮影って万能ではないらしい。金属の影に隠れて、虫歯が写らないことがあるそうだ。

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