見出し画像

映画鑑賞記録02「コンクリート・ユートピア」

※ほんのり本編の内容に触れておりますので、お気をつけください

世界にどえらいことがおこる。唯一無事だったマンションの住民と、その周辺の無事ではなかった建物の住民のはなし。狂気に向かって舵を切ったときの集団心理のおそろしさが詰まっていた。

冒頭でマンションの一室から火が。命がけで消火した男が住民代表として抜擢される。男はのちのモンスターである。このときは「これで代表の座をゲットして、崇めてもらおう」なんていう下心はなく、くもりのない正義と勇気が男を鎮火へ走らせたのだと思う。

冴えない感じだった男は、とつぜん住民たちに救世主のごとく祭りあげられることに。過剰なチヤホヤを養分に怪物に変わっていく男から、人の心は粘土のようにくわえられる力で形を変えていくのだなと思った。


そして男は怪物的カリスマパワーを解放。住民も続々と闇堕ちする。男の音頭によって、マンションの住民の住民による住民のためのダークな政治がはじまってしまうのだ。

マンションには住む場所を失った人がたくさん避難していた。「限られた資源はマンションの住民たちのもの。部外者にわけあたえる余裕はない!」男がつくったルールに従って、住民以外はゴキブリ扱いされ、ゴキブリを匿っていた住民も含めてガンガン排除されてしまう。

なにをしても正義に変換される選ばれし者と、選ばれし者が生き残るためなら犠牲になってもいいヤツらという構図が気持ち悪くてゾワゾワが止まらなかった。「選ばれし者」という思い込みがもたらす万能感ってこわい!でも、すべてが廃墟と化したなかで、ひとつだけ残った建物が自分の家だったら。わたしだって「選ばれた!」と勘違いしてしまいそうだ。


住民のなかには「みんなで助け合おう!」と声をあげる人もいる。それは正しく美しくみえるのだけど、あたたかい気持ちを保てているのは、マンションの外にでることなく最低限の生活ができているからで。その最低限を支えているのは、外にでて心を血走らせ、体からは血を流して物資を調達(略奪)してくるモンスターたちのおかげだから複雑だ。

またマンションの外にいる人たちも、安住の地(マンション)を得るために息巻いている。外の人たちからすれば、意地悪なモンスター住人たちを退治して、自分たちのユートピアをつくるのは正義なのかもしれない。でも住民の立場になれば襲撃してきた外側の人間はモンスターにみえる。

立場によって正義と悪が入れ替わるので「〜が正しい」とか「〜すればよかったのに」とかは考えつかなかった。答えは見つからないと思うけど、時々この映画を思いだして自分だったらどうするのかを考え続けたい。

#映画
#映画感想

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?