老いてこそ素直に
女性の患者さんから次のような話を聞いた。毎年、夫婦で海水浴に行っている。その日のために数日前から準備し当日の朝にはおにぎりを二人分だけ握るのだと。夫も私もたくさんはもう食べられない。小さなおにぎりを握れるようになるまで時間がかかった。どうしても大きなおにぎりになってしまう。子供たちのために大きなおにぎりを握ってきたからだ。あの頃が懐かしい。一体何個のおにぎりを握ってやっただろうか。元気でいるだろうかと思う。もうしてやれることは何もない。私が元気でいることが子供たちにしてやれる最後の事なのかもしれない。ならば気持ちを沈ませてなどいられない。海の家で何を買おうかと心躍らせ、キッチンの窓越しに青空を眺めた。小さな雲が一つ、風に揺られ、気持ちよさそうに浮かんでいた。浮き輪を使って並に揺られ、日陰で潮風を感じながら横になる心地良さを想像する。心が軽くなるのがわかる。腰の痛みも落ち着いている。以前は海水浴好きな夫に付き合っての事だった。正直気乗りはしていなかった。子育てを終え、夫婦二人の生活になった。夫も私も変わらず働き続けた。働くことは好きとか嫌いとか、または働かないなどは一度も考えたことは無かった。定年まで働く、それが当たり前だと思っていた。定年後、少しずつ日々に時間が生まれ、それを持て余してしまうようになった。気が付けば、腰痛を煩っていた。治ると願うだけで治そうとはしなかった。自分に呆れ自分に苛立ちを覚えた。何かをしなければと焦りを覚えた。このまま老いるのは不安だった。誘われるがままに通院する治療院で行っている体操に参加することにした。もう2年が過ぎた。参加者は年上が多い。当初は、自分がいる場所ではないように想われたがそうではなかった。自分よりも遥かに年上の参加者が、自分よりも遥に明るく、何より元気だった。各々の人生を楽しもうと、または楽しむために汗を流して体を動かしていた。立ち止まっていてはダメだと教えられた。退職後も週に2・3度は働くことにした。週末は夫の趣味のサイクリングを一緒に始めた。腰痛によって思う通りに体が動かせないことに歯がゆさを覚えながら、できる限りで、体操もサイクリングも続けた。少しづつ心が前を向き始めた。年齢なりの体の使い方が徐々にわかってきた。丁寧に確実に、適度に運動を続ける。体はある程度動かしていた方が調子はいい。近々今年も海水浴に行く。夫に言われた。「俺よりも楽しみにしているんじゃないか。」「まさか。」 恥ずかしくなってそう答えてしまったが、実のところはそうだ。私は間違いなく海水浴を楽しみにしている。年齢がなんだ。高齢の夫婦だからなんだ。素直に楽しいとか嬉しいとかを声に出したり認めることが歳を重ねる度に下手になった。口を開いて傷つくよりは無口でいることの方が楽だと思った。歌の歌詞ではないけれど、楽あれば苦がある。確かに。変えようとしなければ何も変わらない。もっと素直に強く生きなければと気が付いたのだとその女性の患者さんは話してくれた。治療を施しながら、僕は患者さんの話しに心地良く聞き入っていた。色々とわかった上で経験してきた上で、その上で、素直に生きると言うのは簡単ではないと思うが、プライドや守るべき何かを間違えなければ、決してできないことではないと思った。素直に。いい言葉だと僕は心にメモした。
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