見出し画像

神の視点で生きる

今日は「神の視点で生きる」というテーマについて考えてみましょう。

私たちの人生において、どのような姿勢で日々を過ごしているか、そして自分の行動や成果をどのように捉えているかについて、少し深く考えてみたいと思います。

私たちの行動の源泉

まず、聖書の使徒の働きという書物から、興味深い一節を紹介します。

主は彼らの手によってしるしと不思議を行わせ、その恵みの言葉を証しされた。

この一文、一見何気ない表現に見えますが、実はとても重要な真理が隠されています。「彼らの手によって」と書かれていますが、実際に行動を起こしているのは人間です。しかし、その行動の源、力の源は「主」、つまり神にあるというのです。

これは私たちの日常生活にも当てはまる考え方ではないでしょうか。私たちは日々さまざまな行動を起こし、成果を上げています。仕事で成功したり、家族のために何かを成し遂げたり、あるいは社会のために貢献したりと、形は様々です。でも、そういった行動や成果の根源にあるものは何でしょうか。

成功の裏にある真実

ここで、モーセという古代の偉大な指導者の話を少し紹介したいと思います。モーセは民を導き、多くの困難を乗り越えてきた人物です。ある時、民が喉の渇きに苦しんでいるときに、岩から水を出すという奇跡を行いました。しかし、そのとき彼は大きな過ちを犯してしまいます。

モーセは民に向かってこう言ったのです。

逆らう者たちよ。聞け。この岩から我々があなたがたのために水を出さなければならないのか。

この言葉、一見するとリーダーらしい強い言葉に聞こえるかもしれません。しかし、ここには重大な問題がありました。「我々が」という言葉です。本来、水を出す力はモーセ自身にあったわけではありません。それは神の力によるものだったのです。

この話は、私たちに重要な教訓を与えてくれます。私たちも時として、自分の成功や業績に酔いしれてしまうことがあるのではないでしょうか。「私がこれをやり遂げた」「私の努力が実を結んだ」と。もちろん、努力や能力は大切です。しかし、その努力や能力を与えてくれたもの、そしてそれを活かす機会を与えてくれたものは何か、誰かを忘れてはいけないのです。

謙虚さの重要性

モーセの話には続きがあります。神は彼の態度を見て、こう告げました。

あなたがたは、わたしを信頼せず、イスラエル人の前でわたしを聖なる者としてあがめなかった。

これは厳しい叱責です。モーセのような偉大な指導者でさえ、時として自分の力を過信し、本当の力の源を忘れてしまうことがあるのです。

この話は、私たちに謙虚さの重要性を教えてくれます。どんなに成功しても、どんなに素晴らしい業績を上げても、常に感謝の気持ちを忘れずにいることが大切なのです。自分の力だけでなく、周りの支えや、時には目に見えない力に助けられていることを認識する。そういった姿勢が、真の意味での成功につながるのではないでしょうか。

共に歩む喜び

さて、ここで少し視点を変えて、共同体について考えてみましょう。先ほどの使徒の働きには、初期のキリスト教共同体について興味深い記述があります。

皆は心を一つにして、ソロモンの回廊にいた。

この「心を一つにして」という表現、実に美しいものだと思いませんか? 現代社会において、本当の意味で心を一つにするということは、そう簡単なことではありません。しかし、同じ目標に向かって進む仲間がいる、そんな環境がいかに大切かを、この一文は教えてくれます。

そして、この共同体は単に内向きなものではありませんでした。

他の人々は誰も彼らの仲間に加わろうとしなかったが、民は彼らを尊敬していた。そして主を信じる者たちはますます増え、男も女も大勢になった。

彼らは外の世界からも尊敬され、そして多くの人々を引き付けていったのです。これは何を意味するでしょうか。真に心を一つにした共同体、そしてその源となる力を認識している共同体は、自然と周りの人々を惹きつける力を持つということです。

ここで注目したいのは、「男も女も」という表現です。当時の社会では、女性の地位は決して高くありませんでした。しかし、この共同体では男女の区別なく、全ての人が大切にされていたのです。これは、真の意味での平等と尊重が実現されていたことを示しています。

他者への奉仕

そして、この共同体は単に自分たちの幸せだけを追求したのではありません。彼らは積極的に他者のために行動しました。

そしてついには病人を大通りへ運び出し、寝台や寝床の上に寝かせて、ペテロが通りかかる時には、せめてその影だけでも病人の誰かにかかるようにした。

これは比喩的な表現かもしれません。しかし、ここに込められているメッセージは明確です。彼らは自分たちの持っているものを、惜しみなく他者のために使おうとしたのです。

さらに興味深いのは、この行動が単にエルサレムという一つの都市だけでなく、周辺の町々にまで広がっていったという点です。

またエルサレム付近の町々からも、大勢の人が、病人や汚れた霊に苦しめられている人々を連れて集まって来た。その人々はみな癒やされた。

これは、真の意味での「影響力」とは何かを教えてくれます。自分たちの利益だけでなく、他者のために尽くす。そういった姿勢が、結果として大きな影響力を持つのです。

現代社会への適用

さて、ここまで古代の話を中心にお話ししてきましたが、これらの教訓は現代社会にも十分に適用できるものだと私は考えています。

私たちは日々、様々な課題に直面しています。仕事での成功、家族との関係、社会への貢献など、追求すべき目標は数多くあります。そして、それらの目標に向かって努力することは素晴らしいことです。

しかし、時として私たちは自分の力を過信してしまうことがあります。「これは全て自分の力だ」と思い込んでしまう。そんな時こそ、立ち止まって考える必要があるのではないでしょうか。自分の力の源は何か、誰に支えられているのか、そして自分の行動の真の目的は何か。

また、私たちは往々にして個人主義的になりがちです。特に現代社会では、「自分さえよければいい」という考え方が蔓延しているように感じます。しかし、本当の意味での充実感や幸福感は、他者との関わりの中でこそ得られるのではないでしょうか。

共に心を一つにして歩む仲間がいる。そして、その仲間たちと共に、自分たちの持っているものを他者のために使う。そんな生き方こそが、真の意味での「成功」なのかもしれません。

結びに

最後に、私たちが日々の生活の中で意識したいポイントをまとめてみたいと思います。

  1. 自分の行動や成功の源を常に意識する。

  2. 謙虚さを忘れず、感謝の気持ちを持ち続ける。

  3. 心を一つにできる仲間を大切にする。

  4. 自分たちの持っているものを、惜しみなく他者のために使う。

  5. 小さな影響力でも、それが大きな変化を生み出す可能性があることを信じる。

これらのポイントを意識しながら生きていくことで、私たちの人生はより豊かなものになるのではないでしょうか。そして、そのような生き方が、結果として周りの人々にも良い影響を与え、社会全体をより良いものに変えていく力になると信じています。

いいなと思ったら応援しよう!