新しい人を着たクリスチャンの実生活
コロサイ8章
キリストにある品性、特質を身に着けて生きること。
12節から14節で教えられている。
15-17節では、キリストの愛を着た生き方は、キリストの平和に支配されていくことだ、と伝えている
キリストにある品性、得を身に着けて生きることが、愛を着ている人生。
あなた方は神に選ばれたもの、愛されたものとして、
親切、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。
上に選ばれたものとあるのは、本来旧約聖書でいうと、
イスラエルの民に言われた言葉。
ところが、
キリストの贖いを通して、異邦人の私達もキリストを信じるものは
選ばれたものとなっていることを、聖書は伝えている。
ペテロはイエスの十字架により、
この方を救い主として信じたクリスチャンは、選ばれた民と教えている。
父なる神に、御霊による誠実によって、選ばれた人たちへ。
迫害によって散らされているクリスチャンたちに言っている。
2章9節では、あなた方は選ばれた種族聖なる国民、神の所有された民です、と言っている。
クリスチャンが闇の中から、神様の驚くべき光の中に導かれた、
素晴らしいわざを述べ伝えるため。
上に選ばれたものとは、暗闇が深まるこの時代にあって、
弱さや愚かさを認めながら、
神様の救いを待ち望んで、
信仰を持ったものが、選ばれたもの。
神様、どうしてですか、と嘆くことに耐えながら、
傷つき、罵られ、イエスとともに十字架につけられるような経験をする。
驚くべき光と命を受けるものへと変えられた、というのがクリスチャン。
神を愛する人々、召された人々のためには、
すべてのことを働いて、益としてくださる。
たとえ私達が失敗し、苦しみ、痛みを担うことがあったとしても、
その涙をすっかり拭い去ってくださるときが来る。
それが神の約束。
神様に捧げられるものであり、取り分けられた花嫁のように、聖なるものとされることを伝えている。
「聖なるもの」という言葉が使われている。
私達がなにか優れているとか、価値があるから選ばれているのではなく、
神様の一歩的な愛により、選ばれている。
愛してくださっている方に応答して生きるのが、
クリスチャンのモチベーション。
それは、苦しみではなく、喜び。
愛されているもの、選ばれたもののモチベーションは、
愛してくださっている方に対して、積極的に応答しようとする。
そのモチベーションを失っているとすれば、
それはなにか。
愛されていることの大きさ、豊かさ。
キリストに対する感謝の心が、どこかで当たり前になっているのではないか。
そのように愛されているものなのである、
それに続く不開示愛の言葉、寛容を身に着けなさいというのは、
重荷や律法ではない。
重荷を下ろす場所もなく、不安に生きる他なかった。
サタンに欺かれ、神のみ怒りを受けるだけだった。
3-7節に書かれていること。
怒り、憤り、罵り、偽りの言葉などを行っても、
罪だと意識せず、人を傷つけていた。
それがキリストによって神に選ばれたものとされる前、
愛されているものとされる前だった。
神に選ばれたものとして、
今は生きている。
だからこれら恥ずべきものを捨てて、
キリストを着ているものである。
八重の桜で、木から落ちても許されたときのように。
そこから許されたものとして、城主に恩返ししようという人生が始まる。
イエスの十字架の効果な愛が当たり前になり、
自己中心にならないようにしたい。
罪に陥りやすい私達だが、
愛されているもの、聖なるものとして、動機づけられえいるのだから、
ここに記されている5つの品性を身に着けていくように心がけるように、
励まされている。
8節の捨てなさい、と対象的。
こちらは着なさい。
救われてキリストの愛を着た人は、なんとかして困った人を助けたい、
という心を持つように変えられる。
お年寄りの人、困難に立ち向かっている人、
病気の人、子供や女性、弱さを抱えている人々、
難民にゃ飢饉に苦しんでいる人と関わり、助けようとして生きるのが、成長し、成熟したものの生き方。
今は様々な形でクリスチャンも接点を持っている働きがある。
尼崎でホームレスのために奮闘している聖書宣教会の先輩もいる。
20-30人の人が炊き出しをしたり、様々な形で支援をしている。
支援というのは、ただあげればいいわけではなく、
自立させることが目的。
私達が悔い改めに導かれて救われた。
親切だったから裁かれず、救いに導かれた。
余計な争いをしないための譲歩。
天幕を張って生活したとき、ゲラルの住民の羊飼いたちも、
それは自分たちのだ、といった。
イサクはそこでどうぞ、とあげて、もっと広い場所を探した。
相手にとって一番役立つ道を探し求めてあげることに、親切がある。
失敗を上手に補う。カバーリング。
クリスチャンができないとすれば、それは恥ずかしいこと。
謙遜。
罪人に過ぎない自分を知る、霊的状態。
他の人を尊敬して生きる。
自分自身がわからないから自分を高めて人の上に経とうとするが、
尊敬していくところに謙遜がある。
モーセの柔和。
自分だけが指導者なのか、と批判したミリアムがツァラアトになったとき。
執り成しの祈りを捧げた。
イエスの柔和。
この人達をお許しください、
と十字架上で祈った
私達は、柔和の心を身に着けようとしているだろうか。
結婚式のためには、お葬式のためにも祈った。
一番祈っているのは、牧師のために祈っているというのは大きいと思う。
祈りは思いやり、愛。
神様の恵みによって成長していくように祈ってほしい。
Long Suffering
簡単に批判せず、裁かず。
互いに忍び許し合うことを寛容という。
それが身につかず捌きあうことがなんと多いことか。
主があなたを許してくださったように、あなた方もそうしなさい。
これらすべての上に愛をつけなさい。
キリストの体を完成させていく結びの帯。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?