健全な教会形成をするために
エペソでは女性が活躍していた。
しかし、自由度が上がるにつれ、
それぞれが身勝手な教えをするようになっていた
パウロはそのような経緯を踏まえ、
女性が教会で教えることを許さない、とした。
これはエペソ教会の特殊な事情である。
そのため、字義通りに聖書を読まないように注意する必要がある。
いつも食事をともにするイエス。
御言葉の大切なことを伝えていく。
「酒飲みでなく」をそのまま捉えると、
多くの教会に仕える人々は、失格となってしまう。
ここで聖書が語っていることは、
酒に溺れることなく、ということである。
金銭についても、
主の前にごまかしをしていないかどうか、を求められている。
パウロが指摘しているのは、信仰を持って間もない人が、
長い信仰経験者であるかのように、高慢になってしまうこと。
御言葉の霊的解釈を適切に判断することは難しい。
神学的な教会形成を深めることは大変である。
僅かな教会生活しかなければ、
社会的な常識や慣習から答えを出そうとしてしまう。
それを教会に適用してしまうと、合理的な考えによって
教会が判断をしてしまうこととなる。
霊的な判断をしなくても良い教会。
そうなると、信仰告白共同体ではなくなる。
単なる人間コミュニティ。
合理的な判断とならない場合もあることを、
わきまえなければならない。
社会で信頼されて、伝道できる人。
信仰知識を持っているだけでも、ふさわしいわけではない。
隣人から信頼されていることが必要。
この人が言うことを信じて教会に行ってみよう、と思われる品格。
あの人はクリスチャンだというのに、あの態度はなんだ、
とそしりを受けるようなことがあってはならない。
ここまで述べてきたこと。
それを律法主義と捉えることは良いことではない。
パウロの助言を律法主義的に捉えると、
役員を志す人も、リーダーを志す人も、起こされない。
健全な教会形成が求められている。
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