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迫害の中での祈りと信仰

今日は、初代教会が直面した最初の本格的な迫害とそれに対する彼らの反応について考えていきたいと思います。

仲間との団結

使徒の働き4章23節を見てみましょう。

「釈放された二人は仲間のところに行き、祭司長たちや長老たちが彼らに言ったことを残らず報告した。」(使徒4:23)

ペテロとヨハネは釈放された後、すぐに仲間のところに戻りました。彼らは自分たちの身に起こったことを詳しく報告しました。これは非常に重要な点です。彼らは逃げ出すのではなく、共同体に戻ったのです。

困難な時こそ、私たちは孤立せず、信仰の仲間と共に歩むことが大切です。ペテロとヨハネを待っていた仲間たちも、きっと不安な時を過ごしたことでしょう。しかし、彼らは共に祈り、支え合っていたのです。

力強い祈り

彼らの祈りは、神の主権的な力を認めることから始まります。24節を見てみましょう。

「これを聞いた人々は心を一つにして神に向かって声を上げ、こう言った。『主よ。あなたは天と地と海とそれらの中のすべてのものを造られた方です。』」(使徒4:24)

この祈りは、詩篇146篇を想起させます。彼らは、目の前の困難な状況よりも、全能の創造主である神に目を向けたのです。どんなに強大な地上の権力者も、究極的には神によって造られた存在であることを思い起こしたのです。

彼らは続けて、詩篇2篇を引用します。

「『なぜ異邦人たちは騒ぎ立ち、もろもろの民は、むなしいことを企てるのか。地の王たちは立ち上がり、支配者たちは相ともに集まって、主とキリストに逆らう。』」(使徒4:25-26)

これは、神に逆らう者たちの虚しさを語る箇所です。世の中の権力者たちが神とその民に敵対することは、古今東西変わらない現実です。しかし、彼らの企ては最終的には空しいものなのです。

そして、彼らは具体的な願いを神に告げます。

「主よ、今、彼らの脅かしをご覧ください。そしてあなたのしもべたちに、あなたのみことばを大胆に語らせてください。」(使徒4:29)

注目すべきは、彼らが自分たちの安全や快適さではなく、神の言葉を語る勇気を求めていることです。彼らの関心は、自分たちの状況ではなく、神の使命を果たすことにあったのです。

神の応答

彼らの祈りに対する神の応答を見てみましょう。

「彼らが祈り終えると、その集まっていた場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語り出した。」(使徒4:31)

集まっていた場所が揺れ動いたのは、神の臨在のしるしでした。しかし、私たちは常にこのような劇的な現象を期待すべきではありません。重要なのは、困難な状況の中でも、神が私たちと共におられるという事実です。

そして、彼らは聖霊に満たされ、神の言葉を大胆に語り始めました。これは一回限りの出来事ではなく、継続的な行動でした。彼らは脅迫に屈することなく、神の使命を果たし続けたのです。

私たちが学ぶべきこと

この箇所から、私たちは多くのことを学ぶことができます。

  1. 困難な時こそ、信仰の共同体に留まることの重要性

  2. 祈りの中で神の主権と力を認識することの大切さ

  3. 自分の安全よりも、神の使命を優先すること

  4. 迫害や反対に遭っても、信仰を貫く勇気

私たちも日々の生活の中で、信仰のゆえに理解されなかったり、脅かされたりすることがあるかもしれません。しかし、初代教会の信徒たちのように、私たちも神の主権を信じ、互いに支え合い、大胆に神の言葉を語り続けることができるのです。

今日、私たちの祈りを振り返ってみましょう。私たちは何を求めて祈っているでしょうか。自分の快適さや成功でしょうか。それとも、神の国と神の義でしょうか。初代教会の信徒たちの祈りに倣い、私たちも神の栄光と神の使命のために祈る者となりたいものです。

神様は、私たちの働きを決して無駄にはされません。2000年の教会の歴史が証明しているように、神の言葉は決して止むことがありません。たとえ私たちが弱く、時に失敗することがあっても、神は常に働き続けておられるのです。

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